2019年3月13日水曜日

【学問のミカタ】旅先で見つける海外法律事情

今回の【※学問のミカタ】ブログは、現代法学部の永下 泰之からお届けします。


今回、永下は出張でシアトルに行き、ワシントン大学ロースクールを訪問しました(研究調査のためです)。


University of Washington, School of Law(ワシントン大学ロースクール)

ワシントン大学は、ワシントン州シアトル市にある州立大学です(ワシントン州には、ワシントン州立大学(Washington State University)という州立大学もありますが、別物です)。州立大学のトップ校群(いわゆる「パブリック・アイビー」)の一つである、非常に著名な大学です。非常に広大なキャンパスで(所有総面積は約200万平方フィートもあるそうです。)、また非常に美しい大学でもあります。







さて、本題に戻りましょう。

1.シアトルたばこ事情
大学の周囲を散策していると、写真のようなサインをしばしば見かけます。
  



 東京オリンピックをひかえて、東京都では「受動喫煙防止条例」が成立しました。同条例は、受動喫煙を防止するために、敷地内を禁煙とし(屋外喫煙所の設置も不可)、原則として屋内禁煙(ただし、専用喫煙室の設置は可)とするものです。
ワシントン州でも同様の条例があり、レストラン、バー、飲み屋、ボウリング場、野球場を含む公共の建物や職場は、全面禁煙となっています。しかし、東京都とは若干異なった規定も設けられています。ワシントン州の条例には次のような規定があります。

Smoking prohibited within twenty-five feet of public places or places of employment—Application to modify presumptively reasonable minimum distance.


上記規定により、建物の出入り口・窓・換気口から25フィート(約7.5メートル)以内も禁煙となっています。上の写真はバス停ですが、バス停も「公共の建物(public place)」に該当するため、25フィート以内禁煙のサインが設置されているわけです。そのためか、日本のコンビニでよく見られるような灰皿などは一切ありません(日本ではセブン・イレブンが灰皿の撤去に向けて動き出しています)。25フィートといえば約7.5メートルですので、かなりの範囲をカバーすることになるため、町中は事実上禁煙となっています(とはいえ、シアトルの道路は広いのでカバーされない範囲も多くありますし、歩きタバコ自体を禁止する条例はありませんので、それほど多くはありませんが、ちらほら見かけます)。ちなみに、同条例に違反すると、100ドルの罰金が課されます。

このように、受動喫煙に関する規定をみても、考え方の違いがあり、法律を研究する者としては、非常に興味深いものです。海外旅行に行かれる際には、こうした条例などにも関心を持ってみてはいかがでしょうか?むしろ、条例を知らないと上述のように罰金が課されるおそれがありますので、ぜひ調べてみてください。



2.シアトル最低賃金
現在、アメリカは生活費が高騰しており、シアトルも例外ではありません。シアトルの住宅価格(中央値)は、753,600ドル(約8,400万円)となっており、全米でも3番めに高いそうです(とても筆者には購入できません)。また、家賃も高額です。シアトルのアパートで1ベッドルームを借りると、(中央値で)1,650ドル(約18万円)かかります。
このように、シアトルで生活するには、住宅費だけで莫大な費用がかかります。

そこで、最低賃金が問題になります。
東京都の現在(2019年)の最低賃金は、時間額985円です。
では、シアトルはどうでしょうか。日本とは条件が異なりますので、軽々に比較することはできませんが、次のようになっています。

・従業員数501人以上の企業
時間額16ドル(約1,800円)

・従業員数500人以下の企業
時間額15ドル(約1,700円)。ただし、個々の従業員の医療給付制度に最低3ドル拠出し、さらに/または従業員がチップで1時間あたり最低3ドルを得る場合、最低賃金は時間額12ドル(約1,300円)。したがって、事実上最低賃金は15ドル(約1,700円)。

業種・従業員数にもよりますが、東京都と比べると、約1.6倍以上です。非常に高額だと思われるかも知れませんが、先に見た住宅事情等に鑑みると、シアトルではそれほど高額だとはいえません(ちなみにシアトルでは住宅費のほかの生活費も比較的高額です。)

こうした最低賃金からもわかるように、現在、日本は相対的に所得が低く抑えられています。海外旅行をしたことのある方はわかると思いますが、現在の状況で、日本で所得を得ている人がシアトル等の都市に行くと、多くの者が現地では「相対的貧困」層に該当します(筆者も実感しました。お金が飛ぶように消えていきます)。

日本国内では、現在、「相対的貧困」が問題となっています。わずか1週間の滞在でしたが、自分がその立場になってみて、実感し、見えてくるものもありました。今回の出張は、研究以外にも、色々と知ることができ、有意義なものであったと思います。

みなさんも、法律問題を通じて、社会を観察してみてはいかがでしょうか?


3月の【学問のミカタ】
・経済学部「東京一極集中とは
・経営学部「
ピークですね (T_T) 
・コミュニケーション学部「「コミュニケーション学」の海へ漕ぎだすために
・全学共通教育センター

2019年1月18日金曜日

【学問のミカタ】法の学び方-アイラック

今回の【※学問のミカタ】ブログは、現代法学部の桜井 健夫からお届けします。



1 アイラック
アイラック? ライラックは紫の花、アイライクは like”。これらと違ってアイラックは単語やその集まりでなく、4つの単語、Issue(問題), Rules(法規範), Application(適用), Conclusion(結論)の頭文字。ある問題について、関連する法規範を頭に浮かべ、それを解釈して問題の事実に具体的に当てはめて適用し、結論を出すという一連の手順です。問題に向ってから結論に至るまでに、法規範、適用をはさんで分けて考えるという合理的なステップを踏みます。

ssue(問題)・・・・どんな問題なのか? 
ules(法規範)・・・それに関連する法規範はどうなっているか?
pplication(適用)・ その法規範に問題の事実を当てはめて適用すると? 
onclusion(結論)・ それで結論はどうなるか?


IRACは法律を使う際の基本であり、法律実務家教育を行う法科大学院では真っ先に学びます。最近では大学においてもこれを学ぶようになってきており、昨年、現代法学部の新入生もIRACを学びました。ここではそれをさらに分かりやすく紹介します。その授業を受けた学生の皆さんも、これを読むとさらによく分かります。


2 設 例 

個人情報のケース  
1 問題(Issue
  自分の名前で検索すると10年以上前の破産の事実が書かれたサイトが
  検索結果に表示されるので、表示されないようにしてほしい。
○山△男         検索
    ・○山△男のサイト
    ・□市×町の○山△男 
    ・○山△男、破産! 
     ・・・・・・・


2 法規範(Rules
  憲法13条を根拠に、個人情報を公開されない権利(プライバシー権)があるとされる。さらに、EUデータ保護規則17条に規定されるような「忘れられる権利」もあるかが問題であり、最高裁3小決平成29・1・31は、検索結果の抹消を求めたケースについて、「忘れられる権利」については明言しないまま、表現の自由とのバランスを意識して、①当該事実を公表されない法的利益と②当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して、②より①が明らかに優越する場合には、削除が認められるべきであるという一般的判断基準を定立した。法規範には、○○法○条というものばかりではなく、最高裁判例や決定例が述べる一般的判断基準も含まれ、本件ではこの決定例の一般的判断基準が法規範と位置付けられる。
なお、憲法のほか、関連法として民法や個人情報保護法も想起される。しかし、民法ではプライバシー侵害の不法行為が考えられるものの、不法行為では損害賠償請求はできるが削除請求はできないし、名誉棄損の不法行為を考えても、リンクの削除が名誉を回復するのに適当な処分に当たるとは言い難いので、民法には削除請求のぴったりとした根拠となる規定がない。また、個人情報保護法には削除請求権は規定されておらず、根拠となりうる規定はない。


3 適用(Application
  憲法を根拠とする上記決定の一般的判断基準に、本件の具体的事実を当てはめる。①10年以上前の破産の事実が不特定の人に知られることを防げる法的利益、②この事実を検索結果の形で広く伝えることの社会的意義、公共性などを対比する。
上記最高裁決定で問題とされた「児童買春をしたとの疑いで逮捕された事実」という犯罪に関する情報と比較すると、本件で問題となる「過去に破産した事実」は、経済的マイナス情報に過ぎず、かつ10年以上前のことなので、検索結果の形で広く伝えることの社会的意義、公共性はそれほどない。他方、10年以上前とはいえ破産の事実は本人の経済活動にとっては障害となるものであり、破産法の制度趣旨からしてもやり直しの機会を妨害すべきではなく、①が②に明らかに優越すると考えられる。

4 結論(Conclusion
  したがって、リンクの削除は認められるべきである。

 



3 特に「適用((Application)」について
IRACのうち一番難しいのはA、つまり「適用」です。このケースでは、最高裁平成29年1月31日決定(以下平成29年最高裁決定といいます)が示した基準をルールとして位置付け、それに問題となっている具体的事実を当てはめています。

      





最高裁決定が示した基準では、利益衡量をすることになります。利益衡量とは、対立する利益を秤にかけることです。ここでは、上記①と②が秤にかけられます。そして、①が②に明らかに優越するか、つまり、①の方に秤がはっきりと傾くかを見ます。それは恣意(しい)的(思いつくまま)に、あるいは直感的に行われるものではありません。利益衡量をするには、それぞれの「重さ」を何らかの形で比較可能にする必要があるます。そのためには、検索結果表示の評価、過去に破産した事実の評価を検討する必要があります。

4 検索結果表示にはどんな意味がある?

まず、表示される立場から検索結果表示の評価を考えます。
少し前までは、過去は消えました。悪いウワサや恥ずかしい失敗も、季節がたてば世間は忘れるし(「人のうわさも75日」)、本人も忘れます。だから人生はやり直しができると言われます。

ところが昨今は、過去が消えない時代となっています。過去の個人データが集積されてAIにより解析(プロファイリング)され、個別化広告が向けられます。グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなどはそれを行う代表的な主体です(「『グーグルのサーバーからデータが削除されることはありません』完全削除指示しない限り、残り続ける。」2018716日経新聞)。

さらに、過去が消えないだけでなく、未来も作られる時代になりつつあります。たとえば、アマゾンは、基礎データとして1. 顧客の注文実績/2. 商品検索、キーワード検索の実績/3. 希望リストの分析/4. ショッピングカートの内容物の履歴/5. キャンセル実績、返品実績/6. 特定の商品に顧客のマウスカーソルがとどまった時間を収集し、AI分析をしたうえ、個別化広告をし、さらに予測配達をしようとしています。5年以上前の201312月に米国内で取得した「予測的な配送システム」の特許(下図)は、顧客が注文する前に、予測に基づいて品物を出荷し、注文を行った時点で、すでに最寄りの拠点まで商品を配送している、というシステムです。こうなると、その注文は自分で決めたのか、決めさせられたのか、分からなくなります。

  

検索結果表示にはこれらと似た問題があります。ここでも、自分の過去は消えません。そして、自分の過去を知っている検索エンジンが、検索結果としてそれを表示し続けることによって、自分の未来が影響を受け続けることになります。

 次に、検索表示を提供する立場から検索結果表示の評価を考えると、「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する」(平成29年最高裁決定)と言えます。

最後に、検索する立場から見ると、「検索事業者による検索結果の提供は、公衆が、インターネット上に情報を発信したり、インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを支援するものであり、現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている」(平成29年最高裁決定)といえます。ただし、注意しなければならないのは、検索結果は、パーソナライズされているので人によって異なることです。同じ言葉を入れて検索しても、その人の地域、関心、傾向の相違に合わせて検索結果も異なるので、情報流通の基盤として果たす役割もその程度と位置付けることになります。ネット情報の提供方法は、場合によっては、米国大統領選挙やBrexitをもたらした英国の国民投票の例のように、民衆分断や思想操作の道具にもなりえます。

5 過去の破産の事実にはどんな意味がある?
個人破産の制度は、債務の返済が困難になった人について、非難したり罰したりする制度ではなく、財産の限りで債権者に配当することを条件に残った債務を払わなくてよいことにし(免責制度)、ゼロ(マイナスのない状態)からのスタートを可能にすることで、破産者の経済的再生をさせようとする制度です。破産・免責により復権し、資格制限(弁護士、ガードマンになれないなど)もなくなります。免責不許可でも破産から10年経過すれば復権し(破2555号)経済的再生への道がつくられています。

破産者の経済的再生は、破産者自身のためのみではなく、その家族や社会全体にとっても意味があります。たとえば、多重債務者が立ち直れないと治安が悪化します。免責制度や復権制度を含む破産制度は、経済社会から一旦はみ出した破産者を一定の要件のもとに経済社会に復帰させる制度です。破産したという事実は、それが10年以上前であっても、その人と取引をしようとする業者にとっては意味のある情報ですが、その人の経済社会への復帰にとっては有害であり、特に破産制度の趣旨からすると、広く知らせるべき公益性のある情報とは言えないと考えられます。

6 法の適用の結果
検索結果表示と破産の事実についてこのように検討した結果、設例では、破産は「経済的マイナス情報に過ぎず、かつ、10年以上前のことなので、破産法の制度趣旨からしてもやり直しの機会が確保されるべきであり、①が②に明らかに優越すると考えられる。」としました。

7 平成29年最高裁決定を見てみましょう 
平成29年最高裁決定はIRACで書かれています。同決定が定立した一般的判断基準(R)とそれへの事実の適用(A)を原文で見てみましょう。結論としては、削除請求を否定しています。緻密な利益衡量をしていますので、そこに注目してください。

R【一般的判断基準】
検索事業者が、ある者に関する条件による検索の求めに応じ、その者のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度、その者の社会的地位や影響力、上記記事等の目的や意義、上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化、上記記事等において当該事実を記載する必要性など、当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解するのが相当である。


A【具体的当てはめ(適用)】
児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は、他人にみだりに知られたくない抗告人のプライバシーに属する事実であるものではあるが、児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置づけられており、社会的に強い非難の対象とされ、罰則を持って禁止されていることに照らし、今なお公共の利害に関する事項であるといえる。また、本件検索結果は抗告人の居住する県の名称及び抗告人の氏名を条件とした場合の検索結果の一部であることなどからすると、本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものであるといえる。
 以上の諸事情に照らすと、抗告人が妻子とともに生活し、…の罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で稼働していることがうかがわれるなどの事情を考慮しても、本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。


                                    



1月の【学問のミカタ】
・経済学部「きのこたけのこ戦争と巨大IT企業の違い
・経営学部「山本聡ゼミ、最優秀賞への道!!:なぜ、山本聡ゼミは学外コンテストに参加し続けたのか?
・コミュニケーション学部「学校スポーツのあり方について考える
・全学共通教育センター「目隠しと「ルサンチマン」」 

2018年11月26日月曜日

【学問のミカタ】ギリシャ・ローマ古典文学における戦争と平和

今回の【※学問のミカタ】ブログは、現代法学部の藤原 修からお届けします。


1 ホメロス『イリアス』と『オデュッセイア』
 古代ギリシャ文学を代表するホメロスの二大叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』は、おおよそ紀元前800750年頃に成立したと推定されており、まとまった文学作品としては世界最古のものである。そして、例えば20世紀文学最大の傑作とも評されるジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』(この題名は「オデュッセウス」のラテン語形に由来する)が、『オデュッセイア』を下敷きにして書かれたものであるのをはじめ、ホメロスのこの叙事詩は、時代を超えて広く読み継がれているだけでなく、小説、映画など多様な文芸作品の中で利用され、近代文芸世界において他に類を見ないほどの影響を及ぼしてきた。
 まさに、はじまりにして最高の地位を占めてきた古典中の古典であるこの二つの叙事詩は、古典的な叙事詩の多くがそうであるように、戦争を舞台とする英雄譚(えいゆうたん)を中心にして展開する。『イリアス』は「トロイの木馬」で知られるトロイア戦争を扱い、『オデュッセイア』は、その続編にあたり、トロイア戦争で勝者の側に立つギリシャ側の知将オデュッセウスが、戦いの後、長きにわたる苦心惨憺の末、自分の故郷である島に、元の城の主(あるじ)として帰還する一種の冒険物語である。
 紀元前1200年頃に、アカイア人(ギリシャ人)が、現在のトルコ、小アジア北西部にあった城塞都市のトロイア(別名イリオン)を侵略し、これを滅ぼしたのがトロイア戦争である。当時のギリシャ世界における大事件であったこの戦争を語り伝える中で生まれたのが、これらの叙事詩である。

2 英雄戦士アキレウス
『イリアス』は、10年続いたトロイア戦争の最後の約50日間を扱い、ギリシャ軍側の最大の英雄戦士アキレウス(あの「アキレス腱」のアキレス)が主人公である。アキレウスは、ギリシャ軍の総帥(そうすい)アガメムノンと対立し、戦列から外れる。トロイア軍に苦戦するギリシャ側のパトロクロスは、親友であり戦列から離れていたアキレウスから鎧兜を貸してもらい、これを身にまとってトロイア軍と戦う。パトロクロスはアキレウスの鎧兜を身に着けていたことから、あたかも強敵アキレウスが戦列に復帰したかのような恐怖をトロイア側に与えたが、パトロクロスはトロイア軍を深追いし、敵将ヘクトルの手にかかって戦死する。畏友パトロクロスの死に怒ったアキレウスは戦列に復帰し、ヘクトルを倒し、それでも足りずその屍をさんざんに蹂躙する。ここで終わるとアキレウスは単なる非情な蛮勇の戦士ということになるが、ここにオリュンポスの神々が介入して、友を失ったアキレウスの悲憤を収め、アキレウスは敵将ヘクトルの亡骸(なきがら)を、その父であるトロイアの老王に返還する。こうしてアキレウスは、粗野な英雄から洗練された人格の英雄に変じて物語は終わる。なお、ギリシャ・ローマの古典文学では、人間界の営みに頻繁に神々が介入する形で物語が進行する。ただし、神々はあくまで脇役であり、本筋は人間の物語である。(高橋―後掲の<参考文献>の著者・編者名を指す。以下同様―、424952頁、2122頁)

3 平和に向かう物語としての『オデュッセイア』
 『オデュッセイア』では、トロイア戦後、ギリシャ軍側のオデュッセウスが、10年をかけて海を漂流し故郷に帰還する。『イリアス』が多くの戦闘場面を含み、勇気と武力を重んじる世界を描くのに対して、『オデュッセイア』は、秩序と平和の回復に向かう物語であり、両者は物語としては連続しているが、内容的に対照的な性格を持っている。歴史的には両者のうち『イリアス』の方が広く読まれていたが、戦争の悲惨さが世界的に認識されるようになった20世紀に入ってからは、『オデュッセイア』の方がより注目されるようになった。(西村、123125頁)
 そもそも、オデュッセウスが帰郷に10年もの年月をかけることになったのは、神々の怒りを買ったことによるが、それは、富み栄えているというだけの理由でトロイアに戦争を仕掛け陥落させた罰である。ギリシャ軍の総帥アガメムノンは、帰国後自らの王妃に殺され、オデュッセウスは10年漂流し、部下をすべて失う。ここには、不当な戦争を仕掛けた者には、たとえ勝者となったとしても、結局は、相応の贖罪が求められるという倫理観が背景にある。すなわち、単なる「力=正義」ではない。実際、オデュッセウスは漂流の間、様々な危険に遭遇し、また、トロイア陥落をうたう歌を耳にした時には涙を流す。こうして漂流は、贖罪の旅の様相を帯びる。(高橋、5961頁)

4 冥界のアキレウスと生を志向するオデュッセウス
 オデュッセウスは、漂流の途次、様々な島をめぐることになるが、その中で「冥界訪問」、すなわち、死者の世界への訪問を行う。この訪問で、かつてともに戦ったアガメムノン、アキレウス、パトロクロスらの霊魂と出会う。この時、オデュッセウスは、アキレウスに、「あなたほど幸福な者はいない。みな、君が生きているうちから君を神々にも比すほどに尊敬していたし、死してからは死者の間でもたいした権威をふるっている。だから、死んだとて、嘆きなさるな」と呼びかける。これに対してアキレウスは、意外な言葉を返す。「そのようなことは言ってほしくない。むしろ私は、他人に小作として仕え、畑の畔で働こうとも、まだ生きている方がましだと思っているのだ。生活もあまり豊かと言えない、農地も持たない男のもとに仕えるのであっても、死者たちに長として君臨するよりもまだましだ。」そしてアキレウスは、自分の息子や父の消息をたずねる。(高橋、6668頁)
 ここには、死をもいとわず蛮勇をふるい、敵味方を恐れさせた英雄戦士アキレウスの姿はない。英雄として死ぬよりも、小作として生きながらえる方を選ぶというのである。その方が、死者たちの君主であるよりもましだという。このアキレウスの告白は、この叙事詩の主人公であるオデュッセウスその人と重なる。すなわち、オデュッセウスは武勇の士ではなく、知謀の人であり、名誉のために死ぬよりも現実のために生き残ることを選ぶ人である。そもそもオデュッセウスが自分の元の城へと急ぐのは、自分の家の存続を気にかけるからであり、父から受け継いだ家を息子へと手渡すためである。アキレウスが自分の父と息子を気にかけるのは、オデュッセウスの関心と同じである。(高橋、6869頁)さらに、この冥界訪問は、単に「生きる」ことの価値を肯定するだけでなく、オデュッセウスが、かつてなかなか帰還できない絶望の漂流の中で自死すら考えたのに対し、あえて苦難に耐えて帰郷しようとする不退転の決意を固め、故国の再建という積極的な目標実現に立ち向かう原動力ともなっている。(西村、176177頁)つまり、戦場において死をもいとわない勇気と力よりも、生ながらえるために必要な勇気と力の方が、より積極的で価値があることを示している。

5 日露戦争、日本海海戦後の秋山真之
 近現代日本のこれにやや類した事例として挙げられるのは、日露戦争の日本海海戦で勝利した連合艦隊の参謀として活躍した秋山真之(さねゆき)である。秋山は、海戦で勝利を挙げた直後の妻宛の書簡で、「父母妻子ある数多の人間を殺したれば今後は発心入道して俗界を離れ百姓するの準備に取掛る積りなり」と書き送っている。真之は、その後、実際には軍に対して閑職を願い出、海軍大学校教官やいくつかの艦艇の艦長、海軍の要職を歴任し(坂の上の雲ミュージアム、3545頁)、第一次世界大戦のさなかに欧州に視察に赴く。その中で、戦争が総力戦として巨大化し、軍人だけの手には負えなくなっている有様を見る。そして、今次の大戦につき「物的方面にのみ向上して、心的の発達がこれに伴はないのが其一大素因」であると考え、近代文明の欠陥こそが大戦の根本原因であるとして、その解決策を軍事以外の世界に求めていく。(田中、256259頁)

6 オデュッセウス―戦争を後にした英雄
 故国に帰還後、オデュッセウスは、自分の地位を狙って妻に求婚していた男たちを武力で制圧する。これは、『イリアス』並みに血なまぐさい場面であるが、同時にオデュッセウスは、武力戦を回避しようと言葉による説得をも試みる。また、これは、求婚者らの非道で無法なたくらみが破滅を招くという倫理の実現ともみなしうる。オデュッセウスは、さらに求婚者の遺族たちとも戦うが、物語の最後には、女神アテナによる強い停戦宣言が発せられる。オデュッセウスはこれに従い、真に「戦争を後にした英雄」となる。(西村、221222頁)
 トロイア戦争では、実際には、侵略、男たちの皆殺しや女性たちの奴隷化など、後の倫理観からすれば容易には正当化しえないような戦いが行われていたが、トロイア戦争から『イリアス』成立までの三百数十年の間にギリシャ世界では、原始的な略奪経済から交易経済に移行し、その中でこれらの叙事詩に見られるような、戦争を忌避し平和を志向する態度や普遍的な正義・倫理の観念が形作られていったものと考えられる。(高橋、2425頁)

7 ラテン文学―ウェルギリウス『アエネーイス』
 紀元前45世紀の古典期のギリシャ文学から、紀元前3世紀のアレキサンドリアを中心とするヘレニズム文化の時代を経て、それらの先行文化の影響を受けつつ、ローマを中心にラテン文学が開花する。その代表的叙事詩が、ウェルギリウスの『アエネーイス』である。ウェルギリウスの生きた紀元前70年から同19年までは、ローマが共和制から20年に及ぶ内戦を経て帝政に移行する時代にあたる。この長く続いた内戦を経験したことが、彼の作品に大きく影響している。
 『アエネーイス』は『イリアス』と『オッデュセイア』をふまえたローマ建国の物語である。主人公のアエネーアースはトロイア人であり、『イリアス』が扱っているトロイア戦争でトロイアがギリシャ人によって陥落させられた後、かろうじて脱出し、幾多の苦難を経てイタリアにたどり着き、そこに自分たちの新しい国であるローマを築く。ただし、ローマの建国そのものはアエネーアースの子孫とされるロームルスによるもので、アエネーアースはローマの前身を築いたということになる。そして、新しい国をつくる際に、アエネーアースらトロイア人は、ローマに先住していたイタリア人と激しい戦争を経験しており、新国家はトロイア人とイタリア人との和解・融合によって成り立つことになる。したがって、『イリアス』同様、『アエネーイス』もまた、戦争が物語の中心部分を占める。

8 メランコリーな戦争叙事詩『アエネーイス』
 『アエネーイス』の戦争叙事詩としての重要な特徴は、一つには、『イリアス』同様、戦争を「敵=悪」、「味方=善」のような二分法で描いていないことである。『イリアス』は、ギリシャの側から見たトロイア戦争を描いているが、ギリシャ軍の英雄アキレウスの残虐性を子細に物語り、他方、敵将ヘクトルの高潔な人となりを示す場面を印象深く記している。同様に、『アエネーイス』でも敵味方の人物の人間性に差異を付けない。むしろ、いずれの側にあっても、特に若者たちが犠牲となることへの哀惜の念が表出されている。特に、『アエネーイス』の戦争の場合、相戦うトロイア人、イタリア人ともに将来のローマ建国を担うことになるゆえに、「内戦」としての性格を帯びていることが、一層、双方が血を流しあうことの理不尽さを強めることになる。したがって、『アエネーイス』はローマ建国の英雄物語を本筋とするが、単なる勇ましさだけでなく、むしろ憂愁(メランコリー)に満ちた雰囲気が充満している。(逸見、8990頁、5054頁)

9 戦争・暴力に対する冷徹な認識
 しかし、第二に、『アエネーイス』は、単なる厭戦・反戦にとどまらず、戦争の狂気をなくすことはできず、これを鎖で封じ込めておくことができるのみであり、そのためにも、むしろ暴力が必要であるという冷徹な現実認識を伴っている。「冷厳な指導者を嫌うだけでは、共同体は存亡の危機に立つ。暴力なくして平和は保ちえない。」(逸見、4748頁、5152頁)それだけでなく、『アエネーイス』での戦争は、いったん祖国を徹底的に破壊されたトロイア人が建国のために起こす戦いであり、彼らにとってこの戦いは、国のため、父のため、子孫のための義務として位置づけられ、さらには、そのような義務を進んで愛しさえするような美徳をウェルギリウスは称揚している。(逸見、5253頁、9091頁)したがって、逆に、『アエネーイス』では、美徳としての義務にかられた者同士が戦い、血を流すという点で、『イリアス』には見られないほどの無惨さを示すことになる。そのような若者の壮絶な死を描く二つの場面を見てみよう。

10 若者たちの死―ニーススとエウリュアルス、ラウスス
トロイア側のニーススとエウリュアルスという二人の愛し合う勇敢な若者たちが、自分たちの発案で、単独で敵に夜襲をかける。夜襲の提案を行ったのは、年上のニーススであり、年下のエウリュアルスは愛する者に従っただけだった。二人は敵に発見され追いつめられ、年下のエウリュアルスは敵につかまる。ニーススは身を隠した場所から槍を投げ敵を二人倒す。ニーススを見つけられない敵将は怒って、捕まえたエウリュアルスを殺そうとする。これを見たニーススは我を忘れて、「俺だ俺だ、ここにいる俺がやった」と姿を現し、「エウリュアルスは何もしていない、ただ彼は友をあまりに激しく愛しすぎただけなのだ」と叫ぶ。その言葉を言い終わる前に、エウリュアルスは胸を刺され、血を流して崩れ落ちる。ニーススは敵将めがけて襲い掛かり命を奪う。同時にニースス自身も敵に囲まれ、体一面を突き刺され、友の上に倒れる。「そこでついに憩いを、穏やかな死の中に見いだす」。ここで、叙事詩では異例なことだが、作者のウェルギリウスが詩中に割って入り、言う。「お前たち幸福なふたりよ。もしも私の歌にいくばくかの力があるならば、いかなる日もお前たちを、ふりゆく記憶から消し去りはしないだろう」。(逸見、53頁、8286頁)
他方、トロイア人と戦うイタリア人の側にも健気な若者がいる。イタリア軍側のラウススは父親思いの息子であり、傷ついた父親を防御しようとして、アエネーアースによって殺される。ラウススを前にしてアエネーアースは、「死すべき者よ、なぜお前はかかってくる…お前の親孝行が不注意なお前を騙(だま)している。」それでもラウススは、「正気なくして」とびかかり殺される。アエネーアースの剣はラウススの盾を貫き、ラウススの母が柔らかな金で織った肌着にまで達し、これを血に染めた。(逸見、9093頁)
 こうして、『アエネーイス』では、「秩序とは暴力を内包するものであるとする冷徹な視線と、情熱によって滅びゆく人間への同情とが、どちらが優位に立つのでもなく拮抗している。」(逸見、52頁)

11 平家物語「敦盛」
 ウェルギリウスのこの戦場での若者の美しくも無惨な死の描写は、平家物語の名場面の一つである平敦盛と源氏方の武将、熊谷直実(なおざね)の対決を想起させる。平氏側が一の谷の戦いで源義経の奇襲を受けて逃れる際、敦盛は熊谷に討たれ死ぬ。敦盛は笛の上手な美少年と言われ、親子ほども年の違う熊谷は、敦盛の首をとろうとしてその兜を押し上げたとき、少年顔の美しさに一瞬ひるむが、自らを奮い立たせて打ち落とす。熊谷は、まだ10代半ばの少年をも手にかける武士の罪深さを思い、平家滅亡後、出家して敦盛の霊を弔う。


鹿児島県鹿屋市串良町にある平和公園内の戦没者慰霊塔およびこの公園の説明板。かつてこの地には、旧海軍の航空基地があり、戦争末期、多くの特攻隊員らが飛び立ち戦死した。

(2018年11月2日、藤原撮影)










12 地中海世界の覇者ローマの詩人
 ただし、『アエネーイス』は、ローマ共和制末期の内戦を経て、世界最強の国家=帝国として発展しつつあるローマの歴史的地位を反映しており、ギリシャ世界における都市国家の興亡とそれに伴って生み出される普遍的な政治的正義の観念を反映しているホメロスの叙事詩とは、かなり違った政治状況を背景としている。アエネーアースの父親は、死後、冥界から次のようにアエネーアースに語りかける。「ローマ人の優れた点は青銅や大理石の彫刻ではない。学問でもない(それらはギリシャ人のほうがすぐれている。)ローマ人の技芸・技術は統治なのである。服従するものは赦せ。思い上がるものはたたきつぶせ。」(逸見、51頁)実際、古代ローマの最も優れた文化的遺産はローマ法であろう。またローマは土木建築技術に優れていたが、それもまた、統治者による今風に言えば社会インフラ整備(道路、水道、橋などの実用的建造物)において卓越していたということで、統治技術の一種に含められよう。このように、ローマは芸術や学問にたいしたものはないが、世界支配の能力において勝っていると、古代ローマを代表する詩人がうたうのである。(逸見、154頁)

13 戦争責任意識の形成
 最後に、先に触れた人間の営みへの神々の介入の問題を見ておこう。ギリシャ・ローマの古典文学においては、神話から人間の物語への移行が見られ、主役は人間になっている。しかしそこに神々がしばしば介入し、物語を動かしていく。ただしそれは、絶対的な力を持つ神が否応なく人間を一定の方向に動かすのではなく、複数の神々の間に複雑な利害の対立や意見の相違があり、どの方向に人間界が導かれるかは、はなはだ不確定である。すなわち、神自体が極めて人間的な存在である。多神教の世界では、超自然的な力を持った人間的存在が神であるともいえよう。(逸見、125126頁)
このことは、人間の営みにおける「責任」という問題とかかわる。人間の特定の行為の結果に、神々の意思や力が作用しているのであれば、そこで人間の責任を問うことは意味がない。それは「運命」として片づけられる。また、神々の及ぼす力は、人間の知見では説明のつかない偶然や奇跡を説明可能にする。『アエネーイス』ではこうした「責任」をめぐる説明が、『イリアス』や『オデュッセイア』以上に問題となる。後者はトロイア戦争の勝者の側の物語であるのに対して、『アエネーイス』はトロイア戦争の敗者のその後の物語であり、「トロイの木馬」の計略に引っかかって、国を失ったトロイア人としては、なぜそのような失敗を犯したのか、真摯に考えざるを得ないからである。アエネーアースの総括は、自分たちの愚かさに対する後悔と同時に、自分たちが愚かであるべく神々よって定められていたというものであった。(逸見、132134頁)
戦争のような大規模な、人知と力を尽くした犠牲の大きい政治的な営みにおいては、その結果について、指導者やこれに付き従った者たちの責任は厳しく問われなければならない。しかし同時に、正に戦争のような大規模で、19世紀プロイセンの軍事理論家クラウゼヴィッツの言うように「摩擦(不可測性)」がつきものの集団的営みにおいては、人知を超えた力の作用をも見なければならないであろう。その意味で、これまで見てきたような、戦争が本来持っている根本的な矛盾や悲しみの描出とともに、戦争責任の問題にまで説き及ぶこれらの叙事詩は、はじまりにして最高の名にふさわしい、戦争認識のリアリズムを湛えている。

むすび―古典的叙事詩の現代的意味
 さて、このようなギリシャ・ローマの古典的叙事詩を読むことは、今、特に日本の若者たちにとって、どのような意味があるか。
昨今、憲法9条改正を支持する若者が多いようである。9条については、あれこれの複雑な解釈論争があるが、なによりも、これは戦争放棄条項である。したがって9条改正の核心は、これまでも今も、戦争放棄の放棄にある。すなわち、日本が再び戦争ができるようにすることである。9条の制定とこれを戦後日本国民の大多数が支持し大切にしてきたのには、かつての戦争の反省があった。戦争の持つ悲惨と倫理的な問題性は、古代ギリシャ・ローマの時代から今日まで、いささかも変わらない。ホメロスやウェルギリウスの叙事詩が古典中の古典として称えられてきたのは、人間社会の最も崇高であると同時に最も問題をはらんだ営みである戦争の現実を、徹底してリアルにとらえている点にある。9条改正を支持する若者たちは(若者に限らないが)、その戦争を再び戦うことの覚悟はできているのであろうか。その意味をリアルに認識できているであろうか。ホメロスやウェルギリウスの叙事詩は、反戦や平和主義の文学ではない。しかし、戦争の何であるかを正確にわれわれに教えてくれる。戦争を是とする者は、自らも血を流し、手足を吹き飛ばされ、多くの罪なき老若男女を巻き添えにする、その覚悟はできているのかと。

<参考文献>(本文での引用順)
高橋睦郎『詩人が読む古典ギリシャ―和訓欧心』みすず書房、2017年。
西村賀子『ホメロス『オデュッセイア』―<戦争>を後にした英雄の歌』岩波書店、2012年。
坂の上の雲ミュージアム編集・発行、図録『明治青年 秋山真之』、2018年。
田中宏巳『人物叢書 秋山真之』吉川弘文館、2004年。
逸見喜一郎『ラテン文学を読む―ウェルギリウスとホラーティウス』岩波書店、2011年。