2014年4月10日木曜日

『祝日』とは何か。          ~憲法学者に聞く、『国民の祝日』~



皆さんこんにちは。

オリエンテーション期間も今日で終わり。
とうぜん、当然知っていると思いますが、授業開始は4月11日(金)~です。

1年生には「学部オリエンテーション」で伝えましたが、大学は、自分で学事暦や時間割を把握して行動する必要があります。「授業に来ないけどどうしたの?」なんて連絡は行きませんよ。

これもオリエンテーションで説明しましたが、大学には「祝日授業」というのがあります。
何かと言うと、世の中は「国民の祝日」で休みですが、大学は授業がある日です。

第1期は5月6日(火.振替休日)、7月21日(月.海の日)が祝日授業日です。

振替休日というのは、「国民の祝日に関する法律」第3条2項に

『「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。』

とありますので、その2日前の日曜日が”みどりの日”ですので、この振替休日ですね。

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「国民の祝日に関する法律」では、第1条に以下のように書かれています。

第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

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そして、第2条に、国民の祝日には、どのようにお祝いしたり感謝したりしたらよいかが書かれています。

第2条
「国民の祝日」を次のように定める。

元日1月1日年のはじめを祝う。
成人の日1月の第2月曜日おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日政令で定める日建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日春分日自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日4月29日激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日5月3日日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日5月4日自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日5月5日こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日7月の第3月曜日海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
敬老の日9月の第3月曜日多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日秋分日祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。
体育の日10月の第2月曜日スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日11月3日自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日11月23日勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日12月23日天皇の誕生日を祝う。

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 そもそも「国民の祝日」というのは何なのでしょうか?そこで今回は久保健助先生(憲法)にこのことについて聞いてみました。


Q祝日は昔から法律で定められていたのですか?

A.国民の祝日の「原型」は、1873(明治6)年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」という太政官布告にあるようです。

この年は暦(こよみ=カレンダー)に関する大転換がなされた年でした。

前年の明治5年が122日をもって打ち切られ、翌3日が明治611日とされたのです。

そして、この日から、それまで1千年以上にわたって用いられてきた太陰太陽暦(いわゆる旧暦)が、太陽暦(新暦)に切り替えられました(内田正男『暦と日本人』雄山閣、昭和56年。東京経済大学図書館にあり)。

同じ年の10月に上記の布告が出されていますから、暦制整備の一環であったといえそうです。

 むろん、暦制整備のみが目的ではなかったでしょう。同布告には、10の「祭日祝日」が定められていまして、いずれも皇室における主要な祭儀に関係していました。

つまり、《皇室・国民》「こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」としての「祭日祝日」であったということになりましょう。当時の新政府は、皇室を核として結束する中央集権的な国作りを推進していたわけです。したがって、この「祭日祝日」の制定は、そうした方向性にそった一施策であった、ということができるでしょう。
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Q.現在の法律の中で「建国記念の日」だけ、特別扱いをされていると聞いたのですが?

A.「建国記念の日」は211日。

前出の明治時代の太政官布告でも、それを引き継いだ大正時代の「休日ニ関スル件」という勅令でも、この日は「紀元節」として休日とされていました。『日本書紀』に記されている神武天皇即位の日を新暦に換算すると211日にあたるという理由です。

 しかし、「国民の祝日に関する法律」制定時(1948(昭和23)年)には、祝日とされていませんでした。

当時、米英等との戦争に敗れた日本は占領軍の意向に従わざるを得ませんでした。法律制定時に211日が排除されたことにも、占領軍の意向がはたらいたと言われています。

その後、国民の間に211日を「建国記念日」として祝日にしようとする動きれに反対する意見が対立、最終的には1966(昭和41)年に「建国記念の日」として祝日とされました。

その際、《建国記念日》では日本書紀の記述を歴史上の事実と認めることになるという意見に配慮して、国の誕生に思いをめぐらす日という意味合いで「建国記念日」という名称が用いられるとともに、日にちを法律上には定めず、政令によって定めるという方式がとられました。

 現在でも建国記念の日には、国旗を掲げてお祝いをする人びととこの日を祝日にすることに反対する人びとと双方の集会が催されています。

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Q.祝日を「旗日(はたび)」という人がいますが、なぜですか。

A.この頃あまり聞かないような気がしますが、確かにそういう言い方がありますね。

建国記念の日を祝う人びとだけでなく、街角の交番をはじめ、多くの官公署、それに一般家庭でも(今では少数派でしょうが)、祝日に国旗を掲揚することがありますね。以前は今よりもずっと一般的な風俗だったので、「はたび」という言い方が広く行われていたのではないでしょうか。

祝日等に国旗を掲げる風習が全国的に普及したのは「明治十年前後」からのことであったと言われています(所功『国旗・国家の常識』東京堂出版、平成5年。TAC提携の国立音楽大学図書館にあり)。やはり、前述の「中央集権的な国作り」の推進と関わっていたのでしょう。

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Q.結局のところ、祝日にはどのような意味があるのでしょうか。

A.明治以降の祝日が国家の統合作用を強める意味合いを持たされてきたことは既に触れました。

一方、日本国憲法の下では「国民の祝日に関する法律」がその第1条に、あえて、《自由と平和を求めてやまない日本国民》といったフレーズを盛り込んで、現憲法以前の時代とは趣旨が違うんですよ、ということを強調しています。

《美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげる》といった目標の明記も同様の意図でしょう。しかしそれにもかかわらず、この法律によって定められている祝日の多くが、実は上記布告の「祭日祝日」を受け継いでいるのです。前述の建国記念の日のみならず、春分の日、昭和の日、秋分の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日は、いずれも太政官布告の中に日にちや趣旨が対応するものを見出すことが出来ます。


 どう考えるべきでしょうか。

 国旗や特定の祝日が、かつてある種の国策の道具として使われた、もっと言えば悪用されたという点のみを重視して、それらに否定的な意味づけをする。極端な場合にはそれらの廃止を主張する人びともいます。それも一つの考え方であって、十分尊重されるべきですが、国旗や各祝日の由来に思いをいたし、その経てきた歴史から多くを学ぶことの有益さも強調されてよいと思います。現在のある祝日が、かつてどのような趣旨で祝われ、そしてどのように利用されたのか、そのことをひもといてみるだけでも十分興味深いでしょうし、そこから将来にむけての知恵を得ることもあるでしょう。温故知新。皆さん祝日は一般に忙しいでしょうから、とくに授業が実施される祝日を、そんな思索のきっかけとして意識してみてはいかがでしょうか。

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久保先生ありがとうございました!

いかがでしたか?祝日にも深い意味合いがあったんですね。祝日授業日は現法さんも久保先生の話を思い出しながら仕事します。みなさんも勉強に励みましょう。
 


2013年10月18日 久保 健助ゼミ 
国分寺市明るい選挙活動協議会との話し合い活動
(右に座っているのが久保先生)


 
ではまた次回!