2018年11月26日月曜日

【学問のミカタ】ギリシャ・ローマ古典文学における戦争と平和

今回の【※学問のミカタ】ブログは、現代法学部の藤原 修からお届けします。


1 ホメロス『イリアス』と『オデュッセイア』
 古代ギリシャ文学を代表するホメロスの二大叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』は、おおよそ紀元前800750年頃に成立したと推定されており、まとまった文学作品としては世界最古のものである。そして、例えば20世紀文学最大の傑作とも評されるジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』(この題名は「オデュッセウス」のラテン語形に由来する)が、『オデュッセイア』を下敷きにして書かれたものであるのをはじめ、ホメロスのこの叙事詩は、時代を超えて広く読み継がれているだけでなく、小説、映画など多様な文芸作品の中で利用され、近代文芸世界において他に類を見ないほどの影響を及ぼしてきた。
 まさに、はじまりにして最高の地位を占めてきた古典中の古典であるこの二つの叙事詩は、古典的な叙事詩の多くがそうであるように、戦争を舞台とする英雄譚(えいゆうたん)を中心にして展開する。『イリアス』は「トロイの木馬」で知られるトロイア戦争を扱い、『オデュッセイア』は、その続編にあたり、トロイア戦争で勝者の側に立つギリシャ側の知将オデュッセウスが、戦いの後、長きにわたる苦心惨憺の末、自分の故郷である島に、元の城の主(あるじ)として帰還する一種の冒険物語である。
 紀元前1200年頃に、アカイア人(ギリシャ人)が、現在のトルコ、小アジア北西部にあった城塞都市のトロイア(別名イリオン)を侵略し、これを滅ぼしたのがトロイア戦争である。当時のギリシャ世界における大事件であったこの戦争を語り伝える中で生まれたのが、これらの叙事詩である。

2 英雄戦士アキレウス
『イリアス』は、10年続いたトロイア戦争の最後の約50日間を扱い、ギリシャ軍側の最大の英雄戦士アキレウス(あの「アキレス腱」のアキレス)が主人公である。アキレウスは、ギリシャ軍の総帥(そうすい)アガメムノンと対立し、戦列から外れる。トロイア軍に苦戦するギリシャ側のパトロクロスは、親友であり戦列から離れていたアキレウスから鎧兜を貸してもらい、これを身にまとってトロイア軍と戦う。パトロクロスはアキレウスの鎧兜を身に着けていたことから、あたかも強敵アキレウスが戦列に復帰したかのような恐怖をトロイア側に与えたが、パトロクロスはトロイア軍を深追いし、敵将ヘクトルの手にかかって戦死する。畏友パトロクロスの死に怒ったアキレウスは戦列に復帰し、ヘクトルを倒し、それでも足りずその屍をさんざんに蹂躙する。ここで終わるとアキレウスは単なる非情な蛮勇の戦士ということになるが、ここにオリュンポスの神々が介入して、友を失ったアキレウスの悲憤を収め、アキレウスは敵将ヘクトルの亡骸(なきがら)を、その父であるトロイアの老王に返還する。こうしてアキレウスは、粗野な英雄から洗練された人格の英雄に変じて物語は終わる。なお、ギリシャ・ローマの古典文学では、人間界の営みに頻繁に神々が介入する形で物語が進行する。ただし、神々はあくまで脇役であり、本筋は人間の物語である。(高橋―後掲の<参考文献>の著者・編者名を指す。以下同様―、424952頁、2122頁)

3 平和に向かう物語としての『オデュッセイア』
 『オデュッセイア』では、トロイア戦後、ギリシャ軍側のオデュッセウスが、10年をかけて海を漂流し故郷に帰還する。『イリアス』が多くの戦闘場面を含み、勇気と武力を重んじる世界を描くのに対して、『オデュッセイア』は、秩序と平和の回復に向かう物語であり、両者は物語としては連続しているが、内容的に対照的な性格を持っている。歴史的には両者のうち『イリアス』の方が広く読まれていたが、戦争の悲惨さが世界的に認識されるようになった20世紀に入ってからは、『オデュッセイア』の方がより注目されるようになった。(西村、123125頁)
 そもそも、オデュッセウスが帰郷に10年もの年月をかけることになったのは、神々の怒りを買ったことによるが、それは、富み栄えているというだけの理由でトロイアに戦争を仕掛け陥落させた罰である。ギリシャ軍の総帥アガメムノンは、帰国後自らの王妃に殺され、オデュッセウスは10年漂流し、部下をすべて失う。ここには、不当な戦争を仕掛けた者には、たとえ勝者となったとしても、結局は、相応の贖罪が求められるという倫理観が背景にある。すなわち、単なる「力=正義」ではない。実際、オデュッセウスは漂流の間、様々な危険に遭遇し、また、トロイア陥落をうたう歌を耳にした時には涙を流す。こうして漂流は、贖罪の旅の様相を帯びる。(高橋、5961頁)

4 冥界のアキレウスと生を志向するオデュッセウス
 オデュッセウスは、漂流の途次、様々な島をめぐることになるが、その中で「冥界訪問」、すなわち、死者の世界への訪問を行う。この訪問で、かつてともに戦ったアガメムノン、アキレウス、パトロクロスらの霊魂と出会う。この時、オデュッセウスは、アキレウスに、「あなたほど幸福な者はいない。みな、君が生きているうちから君を神々にも比すほどに尊敬していたし、死してからは死者の間でもたいした権威をふるっている。だから、死んだとて、嘆きなさるな」と呼びかける。これに対してアキレウスは、意外な言葉を返す。「そのようなことは言ってほしくない。むしろ私は、他人に小作として仕え、畑の畔で働こうとも、まだ生きている方がましだと思っているのだ。生活もあまり豊かと言えない、農地も持たない男のもとに仕えるのであっても、死者たちに長として君臨するよりもまだましだ。」そしてアキレウスは、自分の息子や父の消息をたずねる。(高橋、6668頁)
 ここには、死をもいとわず蛮勇をふるい、敵味方を恐れさせた英雄戦士アキレウスの姿はない。英雄として死ぬよりも、小作として生きながらえる方を選ぶというのである。その方が、死者たちの君主であるよりもましだという。このアキレウスの告白は、この叙事詩の主人公であるオデュッセウスその人と重なる。すなわち、オデュッセウスは武勇の士ではなく、知謀の人であり、名誉のために死ぬよりも現実のために生き残ることを選ぶ人である。そもそもオデュッセウスが自分の元の城へと急ぐのは、自分の家の存続を気にかけるからであり、父から受け継いだ家を息子へと手渡すためである。アキレウスが自分の父と息子を気にかけるのは、オデュッセウスの関心と同じである。(高橋、6869頁)さらに、この冥界訪問は、単に「生きる」ことの価値を肯定するだけでなく、オデュッセウスが、かつてなかなか帰還できない絶望の漂流の中で自死すら考えたのに対し、あえて苦難に耐えて帰郷しようとする不退転の決意を固め、故国の再建という積極的な目標実現に立ち向かう原動力ともなっている。(西村、176177頁)つまり、戦場において死をもいとわない勇気と力よりも、生ながらえるために必要な勇気と力の方が、より積極的で価値があることを示している。

5 日露戦争、日本海海戦後の秋山真之
 近現代日本のこれにやや類した事例として挙げられるのは、日露戦争の日本海海戦で勝利した連合艦隊の参謀として活躍した秋山真之(さねゆき)である。秋山は、海戦で勝利を挙げた直後の妻宛の書簡で、「父母妻子ある数多の人間を殺したれば今後は発心入道して俗界を離れ百姓するの準備に取掛る積りなり」と書き送っている。真之は、その後、実際には軍に対して閑職を願い出、海軍大学校教官やいくつかの艦艇の艦長、海軍の要職を歴任し(坂の上の雲ミュージアム、3545頁)、第一次世界大戦のさなかに欧州に視察に赴く。その中で、戦争が総力戦として巨大化し、軍人だけの手には負えなくなっている有様を見る。そして、今次の大戦につき「物的方面にのみ向上して、心的の発達がこれに伴はないのが其一大素因」であると考え、近代文明の欠陥こそが大戦の根本原因であるとして、その解決策を軍事以外の世界に求めていく。(田中、256259頁)

6 オデュッセウス―戦争を後にした英雄
 故国に帰還後、オデュッセウスは、自分の地位を狙って妻に求婚していた男たちを武力で制圧する。これは、『イリアス』並みに血なまぐさい場面であるが、同時にオデュッセウスは、武力戦を回避しようと言葉による説得をも試みる。また、これは、求婚者らの非道で無法なたくらみが破滅を招くという倫理の実現ともみなしうる。オデュッセウスは、さらに求婚者の遺族たちとも戦うが、物語の最後には、女神アテナによる強い停戦宣言が発せられる。オデュッセウスはこれに従い、真に「戦争を後にした英雄」となる。(西村、221222頁)
 トロイア戦争では、実際には、侵略、男たちの皆殺しや女性たちの奴隷化など、後の倫理観からすれば容易には正当化しえないような戦いが行われていたが、トロイア戦争から『イリアス』成立までの三百数十年の間にギリシャ世界では、原始的な略奪経済から交易経済に移行し、その中でこれらの叙事詩に見られるような、戦争を忌避し平和を志向する態度や普遍的な正義・倫理の観念が形作られていったものと考えられる。(高橋、2425頁)

7 ラテン文学―ウェルギリウス『アエネーイス』
 紀元前45世紀の古典期のギリシャ文学から、紀元前3世紀のアレキサンドリアを中心とするヘレニズム文化の時代を経て、それらの先行文化の影響を受けつつ、ローマを中心にラテン文学が開花する。その代表的叙事詩が、ウェルギリウスの『アエネーイス』である。ウェルギリウスの生きた紀元前70年から同19年までは、ローマが共和制から20年に及ぶ内戦を経て帝政に移行する時代にあたる。この長く続いた内戦を経験したことが、彼の作品に大きく影響している。
 『アエネーイス』は『イリアス』と『オッデュセイア』をふまえたローマ建国の物語である。主人公のアエネーアースはトロイア人であり、『イリアス』が扱っているトロイア戦争でトロイアがギリシャ人によって陥落させられた後、かろうじて脱出し、幾多の苦難を経てイタリアにたどり着き、そこに自分たちの新しい国であるローマを築く。ただし、ローマの建国そのものはアエネーアースの子孫とされるロームルスによるもので、アエネーアースはローマの前身を築いたということになる。そして、新しい国をつくる際に、アエネーアースらトロイア人は、ローマに先住していたイタリア人と激しい戦争を経験しており、新国家はトロイア人とイタリア人との和解・融合によって成り立つことになる。したがって、『イリアス』同様、『アエネーイス』もまた、戦争が物語の中心部分を占める。

8 メランコリーな戦争叙事詩『アエネーイス』
 『アエネーイス』の戦争叙事詩としての重要な特徴は、一つには、『イリアス』同様、戦争を「敵=悪」、「味方=善」のような二分法で描いていないことである。『イリアス』は、ギリシャの側から見たトロイア戦争を描いているが、ギリシャ軍の英雄アキレウスの残虐性を子細に物語り、他方、敵将ヘクトルの高潔な人となりを示す場面を印象深く記している。同様に、『アエネーイス』でも敵味方の人物の人間性に差異を付けない。むしろ、いずれの側にあっても、特に若者たちが犠牲となることへの哀惜の念が表出されている。特に、『アエネーイス』の戦争の場合、相戦うトロイア人、イタリア人ともに将来のローマ建国を担うことになるゆえに、「内戦」としての性格を帯びていることが、一層、双方が血を流しあうことの理不尽さを強めることになる。したがって、『アエネーイス』はローマ建国の英雄物語を本筋とするが、単なる勇ましさだけでなく、むしろ憂愁(メランコリー)に満ちた雰囲気が充満している。(逸見、8990頁、5054頁)

9 戦争・暴力に対する冷徹な認識
 しかし、第二に、『アエネーイス』は、単なる厭戦・反戦にとどまらず、戦争の狂気をなくすことはできず、これを鎖で封じ込めておくことができるのみであり、そのためにも、むしろ暴力が必要であるという冷徹な現実認識を伴っている。「冷厳な指導者を嫌うだけでは、共同体は存亡の危機に立つ。暴力なくして平和は保ちえない。」(逸見、4748頁、5152頁)それだけでなく、『アエネーイス』での戦争は、いったん祖国を徹底的に破壊されたトロイア人が建国のために起こす戦いであり、彼らにとってこの戦いは、国のため、父のため、子孫のための義務として位置づけられ、さらには、そのような義務を進んで愛しさえするような美徳をウェルギリウスは称揚している。(逸見、5253頁、9091頁)したがって、逆に、『アエネーイス』では、美徳としての義務にかられた者同士が戦い、血を流すという点で、『イリアス』には見られないほどの無惨さを示すことになる。そのような若者の壮絶な死を描く二つの場面を見てみよう。

10 若者たちの死―ニーススとエウリュアルス、ラウスス
トロイア側のニーススとエウリュアルスという二人の愛し合う勇敢な若者たちが、自分たちの発案で、単独で敵に夜襲をかける。夜襲の提案を行ったのは、年上のニーススであり、年下のエウリュアルスは愛する者に従っただけだった。二人は敵に発見され追いつめられ、年下のエウリュアルスは敵につかまる。ニーススは身を隠した場所から槍を投げ敵を二人倒す。ニーススを見つけられない敵将は怒って、捕まえたエウリュアルスを殺そうとする。これを見たニーススは我を忘れて、「俺だ俺だ、ここにいる俺がやった」と姿を現し、「エウリュアルスは何もしていない、ただ彼は友をあまりに激しく愛しすぎただけなのだ」と叫ぶ。その言葉を言い終わる前に、エウリュアルスは胸を刺され、血を流して崩れ落ちる。ニーススは敵将めがけて襲い掛かり命を奪う。同時にニースス自身も敵に囲まれ、体一面を突き刺され、友の上に倒れる。「そこでついに憩いを、穏やかな死の中に見いだす」。ここで、叙事詩では異例なことだが、作者のウェルギリウスが詩中に割って入り、言う。「お前たち幸福なふたりよ。もしも私の歌にいくばくかの力があるならば、いかなる日もお前たちを、ふりゆく記憶から消し去りはしないだろう」。(逸見、53頁、8286頁)
他方、トロイア人と戦うイタリア人の側にも健気な若者がいる。イタリア軍側のラウススは父親思いの息子であり、傷ついた父親を防御しようとして、アエネーアースによって殺される。ラウススを前にしてアエネーアースは、「死すべき者よ、なぜお前はかかってくる…お前の親孝行が不注意なお前を騙(だま)している。」それでもラウススは、「正気なくして」とびかかり殺される。アエネーアースの剣はラウススの盾を貫き、ラウススの母が柔らかな金で織った肌着にまで達し、これを血に染めた。(逸見、9093頁)
 こうして、『アエネーイス』では、「秩序とは暴力を内包するものであるとする冷徹な視線と、情熱によって滅びゆく人間への同情とが、どちらが優位に立つのでもなく拮抗している。」(逸見、52頁)

11 平家物語「敦盛」
 ウェルギリウスのこの戦場での若者の美しくも無惨な死の描写は、平家物語の名場面の一つである平敦盛と源氏方の武将、熊谷直実(なおざね)の対決を想起させる。平氏側が一の谷の戦いで源義経の奇襲を受けて逃れる際、敦盛は熊谷に討たれ死ぬ。敦盛は笛の上手な美少年と言われ、親子ほども年の違う熊谷は、敦盛の首をとろうとしてその兜を押し上げたとき、少年顔の美しさに一瞬ひるむが、自らを奮い立たせて打ち落とす。熊谷は、まだ10代半ばの少年をも手にかける武士の罪深さを思い、平家滅亡後、出家して敦盛の霊を弔う。


鹿児島県鹿屋市串良町にある平和公園内の戦没者慰霊塔およびこの公園の説明板。かつてこの地には、旧海軍の航空基地があり、戦争末期、多くの特攻隊員らが飛び立ち戦死した。

(2018年11月2日、藤原撮影)










12 地中海世界の覇者ローマの詩人
 ただし、『アエネーイス』は、ローマ共和制末期の内戦を経て、世界最強の国家=帝国として発展しつつあるローマの歴史的地位を反映しており、ギリシャ世界における都市国家の興亡とそれに伴って生み出される普遍的な政治的正義の観念を反映しているホメロスの叙事詩とは、かなり違った政治状況を背景としている。アエネーアースの父親は、死後、冥界から次のようにアエネーアースに語りかける。「ローマ人の優れた点は青銅や大理石の彫刻ではない。学問でもない(それらはギリシャ人のほうがすぐれている。)ローマ人の技芸・技術は統治なのである。服従するものは赦せ。思い上がるものはたたきつぶせ。」(逸見、51頁)実際、古代ローマの最も優れた文化的遺産はローマ法であろう。またローマは土木建築技術に優れていたが、それもまた、統治者による今風に言えば社会インフラ整備(道路、水道、橋などの実用的建造物)において卓越していたということで、統治技術の一種に含められよう。このように、ローマは芸術や学問にたいしたものはないが、世界支配の能力において勝っていると、古代ローマを代表する詩人がうたうのである。(逸見、154頁)

13 戦争責任意識の形成
 最後に、先に触れた人間の営みへの神々の介入の問題を見ておこう。ギリシャ・ローマの古典文学においては、神話から人間の物語への移行が見られ、主役は人間になっている。しかしそこに神々がしばしば介入し、物語を動かしていく。ただしそれは、絶対的な力を持つ神が否応なく人間を一定の方向に動かすのではなく、複数の神々の間に複雑な利害の対立や意見の相違があり、どの方向に人間界が導かれるかは、はなはだ不確定である。すなわち、神自体が極めて人間的な存在である。多神教の世界では、超自然的な力を持った人間的存在が神であるともいえよう。(逸見、125126頁)
このことは、人間の営みにおける「責任」という問題とかかわる。人間の特定の行為の結果に、神々の意思や力が作用しているのであれば、そこで人間の責任を問うことは意味がない。それは「運命」として片づけられる。また、神々の及ぼす力は、人間の知見では説明のつかない偶然や奇跡を説明可能にする。『アエネーイス』ではこうした「責任」をめぐる説明が、『イリアス』や『オデュッセイア』以上に問題となる。後者はトロイア戦争の勝者の側の物語であるのに対して、『アエネーイス』はトロイア戦争の敗者のその後の物語であり、「トロイの木馬」の計略に引っかかって、国を失ったトロイア人としては、なぜそのような失敗を犯したのか、真摯に考えざるを得ないからである。アエネーアースの総括は、自分たちの愚かさに対する後悔と同時に、自分たちが愚かであるべく神々よって定められていたというものであった。(逸見、132134頁)
戦争のような大規模な、人知と力を尽くした犠牲の大きい政治的な営みにおいては、その結果について、指導者やこれに付き従った者たちの責任は厳しく問われなければならない。しかし同時に、正に戦争のような大規模で、19世紀プロイセンの軍事理論家クラウゼヴィッツの言うように「摩擦(不可測性)」がつきものの集団的営みにおいては、人知を超えた力の作用をも見なければならないであろう。その意味で、これまで見てきたような、戦争が本来持っている根本的な矛盾や悲しみの描出とともに、戦争責任の問題にまで説き及ぶこれらの叙事詩は、はじまりにして最高の名にふさわしい、戦争認識のリアリズムを湛えている。

むすび―古典的叙事詩の現代的意味
 さて、このようなギリシャ・ローマの古典的叙事詩を読むことは、今、特に日本の若者たちにとって、どのような意味があるか。
昨今、憲法9条改正を支持する若者が多いようである。9条については、あれこれの複雑な解釈論争があるが、なによりも、これは戦争放棄条項である。したがって9条改正の核心は、これまでも今も、戦争放棄の放棄にある。すなわち、日本が再び戦争ができるようにすることである。9条の制定とこれを戦後日本国民の大多数が支持し大切にしてきたのには、かつての戦争の反省があった。戦争の持つ悲惨と倫理的な問題性は、古代ギリシャ・ローマの時代から今日まで、いささかも変わらない。ホメロスやウェルギリウスの叙事詩が古典中の古典として称えられてきたのは、人間社会の最も崇高であると同時に最も問題をはらんだ営みである戦争の現実を、徹底してリアルにとらえている点にある。9条改正を支持する若者たちは(若者に限らないが)、その戦争を再び戦うことの覚悟はできているのであろうか。その意味をリアルに認識できているであろうか。ホメロスやウェルギリウスの叙事詩は、反戦や平和主義の文学ではない。しかし、戦争の何であるかを正確にわれわれに教えてくれる。戦争を是とする者は、自らも血を流し、手足を吹き飛ばされ、多くの罪なき老若男女を巻き添えにする、その覚悟はできているのかと。

<参考文献>(本文での引用順)
高橋睦郎『詩人が読む古典ギリシャ―和訓欧心』みすず書房、2017年。
西村賀子『ホメロス『オデュッセイア』―<戦争>を後にした英雄の歌』岩波書店、2012年。
坂の上の雲ミュージアム編集・発行、図録『明治青年 秋山真之』、2018年。
田中宏巳『人物叢書 秋山真之』吉川弘文館、2004年。
逸見喜一郎『ラテン文学を読む―ウェルギリウスとホラーティウス』岩波書店、2011年。