2015年10月22日木曜日

【学問のミカタ】訪問販売について 
~ハロウィンで起きた事件から考える~

皆さんこんにちは。
10月も下旬になり、なんだか肌寒くなってきましたね。
正門から続く桜並木は、今年は紅葉しないで葉が散り始めています。ちょっと寂しい感じです・・・
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さて、今日は【学問のミカタ】。テーマは【ハロウィン】

実は、「このテーマ、書きにくい!」ということで、なかなか担当してくれる先生が見つからなかったんです。そんなときに村本武志先生が名乗り出て!?くださいました。先生ありがとうございます。


今年の1年生は、全員「民事法基礎」で先生の授業を受講しています。2年生以上は、「民法(契約法)」「商品安全と法」などで先生の授業を受けたと思います。パワポを駆使したすごいレジュメを作っていますよね。消費者法にかんするブログも運営していますので見てみてください。(注意:英語です)

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先生が書いてくださった事件は、皆さんは若いから知らないかもしれませんが、当時はかなりワイドショーで取り上げられました。現法さんも「アメリカって恐いな」と思ったことを覚えています。

ではどうぞ。
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法プロフェッショナルプログラム説明会

ハロウィーンと聞いて思い出すのは、カボチャ。じゃない、米国で留学中の高校生が射殺された痛ましい事件。19921017日午後8時頃、米国ルイジアナ州バトンルージュ市で、AFSで交換留学していた名古屋の高校生が、ホストブラザーと一緒にハロウィンパーティの会場である友人宅へ。白いタキシードに黒いズボン。同行者は、首にギブスを付け、頭と足に包帯を巻いた病人の格好。しかし訪れた先は、番地が似ている他人宅。ハロウィンの飾り付けもあり、間違いないと思い玄関ベルを押したが、応答無し。横手のカーポートに回り込むと、ドアがバタンと閉じる音。そこで二人は、一旦は車道に戻ったものの、カーポートが開いたことから、カーポートを通りドア方向へ。ドアのそばには、居宅男性が銃を構えていた。男性は「Freeze!」と叫んだものの高校生は聞き取れず、「パーティに来た」と言い、家に入ろうとした矢先にマグナム44口径の銃弾が高校生の胸を貫通し、死亡。

居宅男性は傷害致死罪で起訴されたが、弁護人は「玄関のドアが鳴ったら、誰に対しても、銃を手にしてドアを開ける権利がある」と弁論し、199353日、陪審評決で無罪。しかし、男性に対する民事訴訟(不法行為による損害賠償請求)では、1996112日、ルイジアナ州最高裁が、男性過失を認め653000ドルの賠償義務を認めた。

ハロウィーンは、111日のカトリックの聖人の日である万聖節(All-hallow)の前の晩、1031日が当日。カボチャの中身をくりぬいて中にろうそくを立てた「ジャック・オー・ランタン」をつくったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して、近くの家々を訪れ「Trick or treat(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えてお菓子をもらったりする風習。

欧米では周知の事柄で、訪問される側も、特に不審がられることはないかもしれない。米国郊外居宅は、高い塀があるわけではないし、生け垣でぐるりを囲まれているわけではない。人の家に入り込むについて物理的な障害は、日本に比べて少ないし、当日は心理的な障害もない。ハロウィーンの日に「お菓子を貰いに居宅に入り込む」側は、「ハロウィーンだから、良いんじゃないの」として、立ち入りについて居住者に推定的な承諾がある、なんて主張することになろう。

しかし、だ。おどろおどろしい衣装に身を包んだ怪しげな人物が、突然、玄関に現れたらどうだろうか。ハロウィーンを知らない人もいるだろう(私もよくは知らない!)。ハロウィーンの日だということを忘れている人もいるかもしれない。知っていても、ハロウィーンに名を借りた盗人、強盗かもしれないと思っても不思議じゃない。

人の居宅に勝手に張り込むことは、刑法上は、住居侵入罪に当たる。目的は問われない。泥棒さん目的であろうとなかろうと、人の住居に入り込めばそれだけで犯罪となる。銃規制が緩い米国では侵入者が銃を携帯しているやもしれない。対抗上、見知らぬ訪問者に銃を向けることは決して異常な対応ではなかろう。留学中の高校生でうまくコミュニケーションが取れない場合にはなおさらだ。威嚇して立ち去らない侵入者に発砲した場合に正当防衛が主張されないとも限らない。

米国には「personal sanctuary(個人的聖域)」という概念がある。「自宅」は特別な空間だ。人の家を、断り無しに訪問することは、これを不当に冒すものだ。住んでいる人のプライバシーや平穏な生活が脅かされるおそれがある。そうでなくたって、応対の時間が盗まれる。居住者は、このような利益や権利を守る権利、見ず知らずの他人に応答する時間を取られない、盗まれない権利があるはずだ。これは、憲法上は13条の幸福追求権で基礎付けられるだろうし、不当な侵害がされそうであれば人格権(民法709条)や所有権に基づく物権的請求権で差し止めを求めることだってできる。

いま、「自宅において営業目的の勧誘を受けたくない消費者が,予めこれを示すことにより勧誘を免れうる制度(Do-Not-Knock制度)」、「私用電話において営業目的の勧誘を受けたくない消費者が,予めこれを登録することにより勧誘を免れうる制度(Do-Not-Call制度)」が消費者から主張されている。これは、訪問販売・電話勧誘販売を禁止しようというものではない。私的生活空間に関する消費者の自己決定を尊重して欲しい、というささやかな願いだ。

訪問販売や電話勧誘販売、いいんじゃないの?便利なんじゃないの?という人もいるかもしれない。訪問販売に関する消費者庁の調査では「勧誘を受けた結果、契約を締結したことがあると回答した消費者(訪問勧誘で105 名、電話勧誘では129 名)のうち「契約してよかった」または「契約してよかったと思う場合の方が多い」と回答した割合については、訪問勧誘で51.5%、電話勧誘では43.5%とされる。規制反対論者は、これを理由に「やっぱり必要」と声高に主張するかもしれない。しかし、忘れちゃ行けない。「訪問販売を全く受けたくない」と回答した方が96.2%,2000人に対するアンケートのうち,契約した人は訪問勧誘で105人,電話勧誘で129人でしかない。「契約してよかった」というのはさらにそのうちの半数。これはアンケート対象者の5%程度でしかない。これは、96%が迷惑だと感じているデータに等しい。ちなみに、全国消費者団体連絡会の調査では「訪問販売を迷惑に感じる」と回答した方が96.3%に上る。反対論者の言説は、基礎比率をあからさまに無視したミスリーディングにほかならない。

突然の訪問販売は、育児・介護・療養・睡眠・受験などの時間を妨げる。誰かわからなけりゃ、玄関に出るために、パジャマだって着替えなければいけないし面倒だ。訪問販売をする方には、営業の自由があると声高に言うだろう。

たしかに過剰な制約なく営業を行うことの自由は重要なものだ。しかし,営業の自由のために他の全ての権利・利益が譲歩を余儀なくされるというものではなかろう。たとえ表現の自由であっても,建物管理者の管理権や私生活の平穏の利益から制約を受けることは,平成20411日の最高裁判決が明らかにする。2015324日に「消費者基本計画」(閣議決定)は,「勧誘を受けるかどうか、消費行動を行うかどうか、どの商品・サーピスを消費するかについては、消費者の自己決定権の下に位置付けられるものと考えられる。」と述べる。「営業の自由」などの経済的自由権は,表現の自由よりもより柔軟に制約を受ける。消費者庁での議論の中で、事業者の「営業上の自由というのは憲法上の権利だから,憲法上の権利ではない平穏生活権に優先する」という趣旨の発言をした輩がいたそう。驚くべき無知蒙昧だ。訪問される側にパジャマを着替えることを強いる権利はない。日常生活で個人の時間の使い方は(権利として)尊重されるべきだ。


だからといって、ハロウィンでのお菓子ねだりのお宅訪問はダメよ、というわけではない。おかしおねだりは、幸福追求権の一つだ。営業の自由ではない。そこんところ、ヨロシク!

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村本先生ありがとうございました。

アメリカでは自宅は【特別な空間】とのことですが、なぜ自宅に押しかけるハロウィンという文化があるのか不思議ですね。
先生は「消費者法」を専門とされています。知らない人が自宅を訪ねるという共通点から、訪問販売についてもお話くださいました。


ではまた次回!