2016年2月5日金曜日

【学問のミカタ】バレンタインデーに恋愛至上主義を考える

渋谷先生著書「平成オトコ塾」


 みなさんこんにちは。
 定期試験も無事に終了し、いよいよ春休み。楽しみですね。

 今月の学問のミカタのテーマは【バレンタインデー】。幸か不幸か!?大学は春休み中なので、余り盛り上がりませんね。

 現代法学部は社会学の澁谷知美先生が寄稿してくれました。そういえば渋谷先生は現代法学部ログに初登場です。ちょうど先生が国外研究で2年間韓国に行かれていた時にブログをはじめました。今後も沢山記事を書いてくれることを期待しています!
ではどうぞ!

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渋谷先生(学生作似顔絵)

 ジェンダー論担当の澁谷です。ジェンダー論では、恋愛や結婚を無条件に「よいこと」とは考えません。このコラムでは、ちょっとひとクセあるが、もしかしたら納得するかもしれない、恋愛のミカタを紹介します。

■バレンタインデーにイライラ

 今年もバレンタインデーがやってきます。女性が好意をよせる男性に、チョコレートを渡す日とされています。

みなさんは、この日を前に、どんな気持ちで過ごされているでしょうか。
チョコを渡す準備をしながら、ドキドキしているでしょうか。気になるあの子からチョコをもらえるかどうか、ハラハラしていますか。あるいは、義理チョコを準備しなくてはならず、ヤレヤレ、でしょうか。

なかには、イライラしている人もいるかもしれませんね。
この時期になると、ハート型のオブジェや看板が、街のあちこちにかざられます。デパートにも、スーパーにも、コンビニにも、いたるところにチョコレートの特設売り場がもうけられます。街をあげてのおまつりさわぎに、このようにつぶやく人がいても、おかしくありません。

 「全人類が恋愛をするべき、という義務があたかも存在するかのように、イベントを進行するのはやめてほしい」

 「クリスマスから2ヶ月もたたないうちに、カップル中心のイベントがやってきて、うんざりする」

 そのようにイライラするあなたは正しい、とわたしは思います。あなたに同調してくれる人は、ごくわずかかもしれませんが。

■気の毒な恋愛至上主義者

 ごくわずか、と申し上げました。そうです。ごくわずか、ではありますが、「恋愛にとらわれている世の中、ヘンだよね」という言葉を残してくれている先人がいるのです。いくつか、ご紹介します。

 まずは、松田道雄さんの『恋愛なんてやめておけ』という本から。松田さんは、医師業のかたわら、育児や歴史にかんする本もかいたマルチな評論家でした。

「人生には恋愛のほかにもっとおもしろいことがたくさんある。年のわかい人に恋愛至上主義が多いのは、まだ人生のほかのおもしろいことを知らないからだ。おとなになって恋愛至上主義ってのは、人生にやりがいのある仕事をみつけられないでいる、気の毒な人だ」
(松田道雄 1970『恋愛なんかやめておけ』)

 「恋愛至上主義」というのは、恋愛はなによりも尊いノダ、という考えかたのことです。「おとな」になってもこういう考えのひとは、気の毒である、と松田さんはバッサリ斬りすてています。「わかい」恋愛至上主義者にたいしても、ほかのおもしろいことを見つけられない未熟さを、とおまわしに批判しています。
 恋愛を無条件に「よいこと」とする空気がフンプンとする日本社会で、このひとことは貴重です。バレンタインデー・イライラ派としては、胸がすくことばではないでしょうか。

■敵は、強迫観念と社会にあり

 ところで、なぜ、イライラ派は、バレンタインデーにイライラしてしまうのでしょうか。
自分がモテないから?
そうではないんじゃない? と問題提起したのが、モテない問題を考える会です。メンバーの名木太さんは、「強迫観念」に注目しました。

「重要なことは、「モテる」ようにならなきゃという「脅迫観念」こそが、「モテ問〔モテない問題〕」という悩みの原因だということです。すなわち、「モテ問」の原因は「モテない」ことではありません。僕らの「敵」は「脅迫観念」であり、それを作り出している社会ではなかろーか、と考えているわけです」
(名木太 2000「「モテ問」概論」『モテない問題を考える会通信』第1号)

一番奥が渋谷先生
 モテないのがつらいのは、モテるようにならなきゃ、という強迫観念にとらわれるからだ、といっています。モテないことそのものがつらいわけでは、ないのです。

ストンと、腑に落ちませんか。バレンタインデーに色めきたつ世間にイライラするのは、自分がモテないからではなく、「あなたもモテるようになりなさい」と脅迫されているような気がするから、なんですね(イライラするのは、自分がモテないからだ、という人もいるとは思います)。

チョコレート売り場の看板に、脅迫のメッセージが掲げられているわけではありません。だからといって、「脅迫されてる感」が、個人の妄想であるとは、かならずしもいいきれない。そう考える理由を、ちょっと説明します。

モテることや、男女がカップルになるのは「よいこと」だが、そうでないのは「カワイソー」という価値観がつよいのが、日本社会です。

この価値観は、モテと非モテで非対称に構成されています。平等ではありません。とすれば、よほど達観したひとでもないかぎり、モテるようにならなきゃ! とあせります。つまり、強迫観念を感じます。

そして、バレンタインデーにかかわる業者たちは、そうした非対称かつ、脅迫的な価値観によりかかりながらチョコレートを売っている。もちろん、そうした価値観によりかかっているとハッキリ自覚している業者は、ほぼないでしょう。「もうかるから」「毎年恒例だから」ぐらいしか考えていないと思われます。

そうやって、無意識に業者たちがよりかかる、「モテはよいが、非モテはカワイソー」という価値観のもとに、1月中旬から2月中旬のチョコレートは売りさばかれる。この街かど風景に、脅迫のメッセージを読みこんでイライラしてまったとしても、それは読みこんだ側だけの責任ではないはずです。

 「脅迫されてる感」が、個人の妄想であるとは、かならずしもいいきれない、といったのは、こういう理由です。ひとことで、ちょっとこむつかしくまとめれば、「すでに社会的に共有されている不平等な価値観が、資本主義をつうじて再生産されているから」ということです。

■恋愛はただの「趣味」

だからといって、恋愛資本主義を打倒せよ! とも、わたしは思わないのです。個人的なはなしになりますが、年をとって、恋愛のほかに、おもしろいことをたくさん知りましたので。 松田さんのいうとおりでした。「恋愛したいひとは、しておけばいいのでは? わたしはこっちのおもしろいことに没頭します」という心境です。
それなりにおもしろいが、全人類の義務というわけではないヒマつぶしのことを、「趣味」といいます。コラムニストの深澤真紀さんは、恋愛は「趣味」にすぎない、といいあてました。

「世間もマスコミも、「恋愛至上主義」すぎると思うのです。恋愛は、戦後に欧米からクリスマスと一緒にはいってきた「趣味」にすぎないとわたしは思っています。みんなが夢中になることはないのです」
(深澤真紀 2009『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』)

恋愛は「趣味」にすぎない。すばらしいことばです。恋愛は、切手あつめやカラオケや盆栽と同じということです。恋愛をしているからといって、イバらなくてもいいし、うらやむ必要もないのです。

盆栽マニアのつどいをながめるように、バレンタインデーのおまつりさわぎをながめる。そんな境地に達することができれば、人生はチョコレートよりも味わいぶかいものになるかもしれません。

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渋谷先生ありがとうございました。
どうでしたか?「チョコなんていらいないや!」という境地になりましたか?

渋谷先生には近年ご自身はチョコをあげたことがあるのか、聞いてみたいところです笑。

ではまた次回!