2016年9月20日火曜日

【学問のミカタ】貧しい食事 ~食について~


みなさん、こんにちは!
 
明日からは2期の授業が始まります!
 
台風も今夜半過ぎには通過の予定です☆
 
2期も健やかに過ごしましょう!
 
 
 
 
学問のミカタ、9月のテーマは「食」についてです。
 
今回は徐 京植先生が執筆してくれました!
 
よろしくお願いします!
 

 

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  貧しい食事 
     
                    徐 京植 
 
 
 
今から45年ほど前、私が入学したある私立大学には、次のような校歌の替え歌があった。
 
 

都の西北ヤセタの森に/
 
そびゆる甍(いらか)はわれらが下宿

 われらが下宿のおかずを知るや/
 
 5円の煮豆に3円の大根

 ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、死んだ…
 
 
 

これは戦後の食糧難時代の先輩たちがつくったもので、さすがに私が通った頃はこれほどではなかったが、学生たちがつねに金欠病だったことは変わりない。
 
 
いま世の中は豊かになったというが、本当だろうか?

 
私が大学生だった頃、学食でのご馳走は「トンカツ定食」だった。
 
学食のトンカツは薄っぺらく、口内粘膜が傷つくほど衣が硬かったが、それでも私には週に一度の贅沢だった。
 
 
Mというラーメン屋のもやしソバもよく食べたが、どういうわけかいつも食後に腹具合が悪くなった。
 
 
学友F君は、ラーメンにライスをつけ、さらにライスのみお代わりするのが常だった。
 
それでもF君はやせていた。やみくもに安価で高カロリーなものを求めた時代だった。



月日は巡って大学で教える立場になり、さまざまな外国の大学にもでかけるようになった。そのたびに私は現地の学食に出かけてみることにしている。
 


コロンビア大学(ニューヨーク)キャンパスにて
 
いちばん気に入ったのはデュッセルドルフ大学の学食だ。
 
 
アジア、アフリカなど世界各地からの学生たちも多いので料理の種類や味付けが多彩である。
 
なによりドイツ流の全粒粉パンが美味い。ただし、やや値段が高い。
 
うっかりするとすぐに1000円を超える勘定になった。

ケンブリッジ大学の学食は教授用食堂と学生用が厳格に仕切られていた。
 
 
友人に招かれて教授用に行くことになった。給仕が仰々しくサーヴィスしてくれて、少々窮屈な思いをした。
 
 
ケンブリッジ大学キングスカレッジ礼拝堂 右はアダム・チョウ教授

パリでは学食に入る機会がなかったが、ソルボンヌ付近にはよいカフェが多く、バゲット・サンドウィッチ一つで味も量も満足できる。
 
クリューニー博物館のそばに狭い中華料理店があり、そこの鴨ラーメンは絶品だ。
 
あるとき、斜め向かいの席でひとり鴨ラーメンを食している女性と眼があった。日本で面識のある、女性学の先生だった。
 
日本ではこんな偶然は滅多にないのに、パリで再会したのだ。鴨ラーメンのおかげである。



ことし3月には中米のコスタリカ大学に出かけ、相変わらず学食のお世話になった。
 
 
主食は豆と米を蒸したものである。それを盛った皿にお好みで、肉や魚の料理を添える。場合によっては焼いたバナナなども。
 
味は?…こういう場合、英語では「興味深い(interesting)」と答えることにしている。
 
コスタリカの教会廃墟 左はチェ・ヒョンドク教授
 
 
国外研究員として2年間韓国に滞在した。
 
ある時、学食で食事していると、あまり言葉を交わしたこともない女子学生が、「先生お一人ですか?一緒にしてあげましょうか」と声をかけてきた。
 
なにやら同情している顔つきである。韓国には「メシは天だ」という有名な詩句があるように、(とくに客人とは)食事をともにする文化がある。
 
それが煩わしいのか、友人の歴史学者は、いつも研究室に出前をとっていた。
 
彼の定番はチャジャン麵(汁なしミソかけソバ)。日本のカレーやハンバーグ同様、韓国の子供たちにとって人気の「国民食」である。
 
 
 
 数年前、「ボッチ飯」という言葉を知った。「メシぐらい自由に食べればいいじゃないか。

 大切なことは美味いか不味いか、栄養が足りているかどうかなんだから…」とゼミの学生に言うと、体格のよい男子学生が真剣な表情で「先生、やっぱボッチ飯はキツイっすよ」と答えた。

 いまの学生たちの食事は「ヤセタ、死んだ」の時代とは異なるものの、新しい別の「貧しさ」に苦しめられてはいないか?


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徐先生、ありがとうございました!