定期試験に入りましたね! 七月も残すところあと少しです。
前回の西下先生の『東京物語と夏、老いた親の居場所』のつづきを
更新いたします!
どうぞ~!
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『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』 1984年 リブロポート出版 より |
やがて、脳溢血で倒れたとみが危篤となり、東京の子供たちに電報が届きます。
家族に看取られながら自宅でとみは鬼籍に入ります。通夜と告別式が終わると、長女は着物の形見を要求しそそくさと帰郷してしまいす。長男も同様です。最後まで残ったのは、二男の妻である紀子(原節子)。
同居の末娘の京子(香川京子)が、兄や姉の非情な振る舞いに憤慨します。それを紀子は、なだめて、次のように言います。「大きくなると、誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」と。
旧民法が制定されたのは1898年。
家制度が法的に確立したと言ってよいでしょう。
第2次世界大戦の戦後の1947年に、この民法が改正され新民法が施行されました。
家制度は崩壊し、新しい家族と扶養の関係が示されました。
それが生活保持義務と生活扶助義務です。
前者は、配偶者および未婚の子供との間に生じる扶養義務関係で、たとえて言えば、1つのパンを分け合うような義務ということになります。
後者は、親との関係で生じる扶養義務関係で、パンが余れば提供するような義務ということになります。
新民法が新しい扶養のあり方を示したものの、人々の心の中には、旧民法の残滓が残ると言った極めてマージナルな社会状況に、東京物語がスポットを当てていると言うことができます。
詳しくは、民法の授業で学んでいただきたく思います。
東京物語は、日本映画の最高傑作の1つですが、戦後すぐという事情もあり、ジェンダーの視点から見ると、残念ながら限界も存在します。
ないものねだりの誹りを免れませんが、とみが夫に従う従順な妻として描かれ、自分の子供たちに遠慮しているように描かれています。
当時の妻・母親イメージとしては自然なイメージかも知れませんが、失われていく家族の絆を映画の主題にしているのですから、その絆の喪失の中で、母親・妻がどのような存在として位置づけられ、また変化していくのかについても描いてほしかったと思います。
先に述べましたように、老いた親の「居場所のなさ」が主題としてクローズアップされていますが、さらに言えば、老いた妻の夫婦における居場所のなさ、老いた母の子どもとの関係における居場所のなさにもフォーカスがもう少し当てられてもよかったのではないかと感じます。
東京物語のラストシーンも出色の出来栄えです。
まだ若い紀子が周吉に、自分が老いていくことに不安を持っていると訴えていて、このシーンが映画評論家に評価されているようですが、私はそれだけが評価のポイントだとは思いません。
もちろん、28歳の紀子が、老いを感得できるセンスを持っていることは素晴らしいことだと思いますが。
この場面で最も大切なのは、紀子が周吉に、「夫を思い出さない日さえあるんです」「一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で何かを持っているんです。ずるいんです。」と告白するシーンだと思うのです。
『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』 1984年 リブロポート出版 より |
戦争で夫を亡くした女性の本当の意味での心の叫びを明らかにしています。戦争の悲惨さを紀子のセリフを通じて訴えていると思います。
小津監督一流の世界観は、黄昏芸術と呼ばれていますが、紀子の最後のセリフに、監督一流の一瞬の過激さを感じました。
映画の評価や解釈に正解などありません。
高校生の皆さん、大学生の皆さん、日々お忙しいと思いますが、是非60年前にタイムスリップして、日本映画の名作『東京物語』をご覧ください。
8月15日に合わせて見ていただければと思います。
そして、皆さんの解釈が私と近いのかどうか、そもそも私の感じ方が解釈として成立しているのかいないのか、是非、ご意見をお寄せください。
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終