2016年7月22日金曜日

学問のミカタ 「東京物語と夏、老いた親の居場所」

みなさん、こんにちは☆


じめじめとしてすっきりしない梅雨の日が続きますね。
 

明日からは定期試験が始まりますが、それが終われば夏休みです!


今月の学問のミカタのテーマは「夏」です!


今回は西下 彰俊先生が、夏と小津安二郎の『東京物語』について、

ブログを書いてくれました。


それではどうぞ!!


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東京物語
(左が原節子、右が笠智衆)
松竹HPより

 
 
 
 
現代法学部の西下彰俊です。
 
 
私の専門は、スウェーデンや東アジアの介護政策研究です。
 
 
 
 
介護政策研究と全学共通のテーマ「夏」を結びつけてブログを書くことは難しかったので、今後の課題にします。




 さて、本学に着任した2004年から数年間、「家族と社会」という科目を担当していました。
 
 
 授業で、小津安二郎監督の『東京物語』を鑑賞しました。
 
 
 
 年によっては、新藤兼人監督の『午後の遺言状』を鑑賞したこともあります。
 
 
 
 ということで、このブログでは、東京物語を取り上げます。







 

 東京物語は、日本を代表する名作映画の1つで1953年に発表されました。
 
 
 
 
 この映画の中で、私にとって最も印象深いのは、「熱海の旅館に泊まることになった老親が宿泊客の騒音で眠れずに悶々とするシーンです。
 
 
 
 
 真夏に、平山周吉(笠智衆)と、とみ(東山千栄子)が、東京に住む子どもたちに会うため尾道から上京するのです。長男・幸一(山村聡)は町医者となり、長女・志げ(杉村春子)は美容院を経営しています。
 
 
 
 ところが、子ども達は、生活に窮するあまり、上京した両親の相手をする余裕がなく、半ば東京から追い出す形で熱海の旅館を勧めます。

 
 
 
 真夜中も、麻雀に興ずる団体客や艶歌師の流行歌の喧騒で、彼らの親は、眠れずに朝を迎えます。
 
 
 
 
 寝不足のまま、静寂な熱海の海を座って眺める老夫婦の斜め後ろ姿が、とても痛々しいです。細い防波堤を帰ろうとした時、後ろのとみが、ふらついてしゃがみ込みます。これが、死期が近いことを暗示しています。




 余談ですが、撮影当時、笠はまだ高齢者ではなく、49歳でした。しかし、海を見つめる後ろ姿は、まさに高齢者。演出にたいそう厳しい50歳の小津監督は、俳優からの演出の提案を受け入れることなど皆無なのですが、唯一の例外が、笠が提案したこの演出でした。
 
 
 
 背中に小さな薄い座布団を入れているのです。演出に厳しい監督の優しい人間性が漏れ出ている一コマです。

『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』
1984年 リブロポート出版 より



 この映画のキーパーソンの一人が、8年前に戦死した次男・昌二の嫁を演じる紀子(原節子)です。原は、小津監督をたいそう尊敬していたようですが、このような監督の優しい一面を見抜いていたのかも知れません。




 紀子は、会社を休んで老夫婦を東京見物に案内します。ささやかな行楽を楽しんだ後、狭いアパートに二人を泊めます。その後、老夫婦は、結局熱海を1日早めに切り上げ、長女の家に戻ってきてしまいます。泊められない長女は、二人を追い出します。周吉は、昔の友達の家に、そしてとみは、紀子のアパートに再度泊めてもらうのです。


 

 東京物語の主題は、私が思うに、敗戦後の日本において、古い家族制度が崩壊し、社会全体が生活に困窮する中、核家族化が進行し、老親の居場所がなくなるような危うい家族関係に焦点を当てることでした。
 
 
 
老人問題のルーツをこの映画に見て取ることができます。




 あれから、60余年。


新しい家族制度のもと、核家族化はさらに進行しています。

社会全体の生活水準は確かに上がったのですが、


老親の居場所がなくなるような危うい家族関係は現在においても決して減っているわけではありません。


「もう一つの東京物語」という映画が誕生してもおかしくない社会状況にあると言えるでしょう。



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つづく