2016年11月4日金曜日

【学問のミカタ】 秋 -風景に人の思いや社会の関わりを感ずる季節-

2016.11.5.6開催
東京経済大学国際シンポジウム
自治しうる<主体>と<場>を問いなおす


みなさんこんにちは。ずいぶん寒くなりましたね。
大学内の木々が少しずつ色づいてきました。
もう少ししたら写真でも撮ってアップしようかな。今年もあと2ヶ月です。

さて、ちょっと遅くなりましたが、今日は【学問のミカタ】テーマは【秋】
今回は学部長の羽貝正美先生が寄稿してくれました。
「秋」の魅力の背景には、様々な人の<思い>や<関わり>がある、それは行政だったり、住んでいる人だったりと様々で、私たちはそれを感じたり考えたりしながら楽しくすごすことができる。素敵ですね。

羽貝先生は今とってもお忙しい・・・なんと、今週末に東経大で国際シンポジウムが開催されるのですが、その準備がピークを迎えています。日本の地方自治だけではなく、フランスやドイツの市長さんも来日して報告してくださるそうです。頑張ってください!

【東経大ホームページへ】【11/5(土)・6(日)】自治しうる〈主体〉と〈場〉を問いなおす― 基礎自治体のサスティナビリティとローカル・ガバナンスに関する国際シンポジウム―

シンポジウムパンフレットはこちら


ではでは皆さんどうぞ~
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秋はにぎやかで楽しい季節でもあり、静かな季節でもあり。

前者の例で言えば、人によって待ちどうしく感じられるイベントもさまざまでしょう。各地で催される、普段は遠くに暮らす若者も地元に帰ってくる秋祭り(伝統行事)もあれば、昨今では若者が仮装を楽しむハロウィーンもあります。

他方で、秋はといえば、毎年恒例の「読書週間」(11月)というイメージにつながります。誰しも、すぐに「読書の秋」の言葉が頭をよぎるほどに、「秋は読書」のイメージが浸透しているのかもしれません。「燈下(とうか)稍(ようや)く親しむ可(べ)く」といった中国の詩の一節が引き合いに出されることもありますね。読書の途中、「続きは明日に」という気持ちになかなかなれず、夜が更けるのも忘れて、とうとう朝まで1冊を読み通したといった体験をお持ちの人もいることでしょう。個人的には、二十歳のころ、猫好きだった友人に紹介されたR・ハインラインのSF小説『夏への扉』もそのように一気に読んだ作品のひとつでした。それぞれに忘れがたい読書体験がおありと思います。

羽貝 正美ゼミ ゼミ風景
とはいえ、秋は本の魅力を思い起こす季節というだけではないようです。もちろん、11月第三木曜解禁のボジョレ・ヌーボーではありませんが、「秋は五臓六腑に染み渡る」という、秋の味覚を愛でる食いしん坊の親友の言葉にも大いに共感します。けれども、そうした楽しみとともに、秋になると、街の姿、自然の表情がくっきりと見えて、一つひとつの街の要素が人の感性にさまざまに訴える季節が到来したと感じたことはありませんか。
山や寺社の見事な紅葉も魅力的ですが、街中の街路樹はもちろん、公園の木々や芝生、花壇、砂場で声をあげて遊ぶ子供たちの姿、そして小さな路地を飾る樹木・草花の鉢、また澄んだ水の流れる水路も実に趣のあるものです。そうした魅力にあふれた、個人の私的なものではない、公的な場や空間の中に身をおいた時、そこに言葉には表現できないようなやすらぎ、安心感、心地よさを感じたことがあるのではないでしょうか。広場やオープンカフェにおかれ、私たちがお茶やコーヒーを飲んだりしてくつろぐ場所は、「公的空間のなかの豊かな私的空間」だと教わったことがあります。そのままそこに座って、目の前の風景や道行く人の姿を感じながら、ずっとぼんやりしていたいと思った体験をもつ人は案外多いのではないでしょうか。
 
一言でいえば、風景、景観、身近な環境。私たちが普段あまり意識しないものの中に、実に魅力的なものがあるということです。でも、もっと大きなポイントは、そうした形あるものの背景に、様々な人の思いや関わりがあるという点にあります。具体的には行政や住民・地域の関わりがあるということです。逆に言えば、わたしたちが魅力を感じない場や空間には、そうした関わりが欠落していたり、適切ではなかったり、という背景がありそうです。感性とともに理性をもって、地域の在り方や住民・地域と行政との関わり方をみていきたいものです。

「読書の秋」。そして時に楽しくにぎやかで、時に静かな秋。一冊の本を読むように、身の周りの風景・景観に目を向けてみてください。形あるものに形のないものの関わりがある。空間の中に社会が透けてみえてくると思います。


なお、115日(土)・6日(日)に本学「大倉喜八郎進一層館」にて、国際シンポジウム「自治しうる主体と場を問いなおす」がひらかれます。このシンポジウムも、こうした問題意識から企画されました。関心をもった方はぜひどうぞ。




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羽貝 正美先生、ありがとうございました!
ではまた次回!

2016年10月6日木曜日

「夏休みは実家で漁の手伝い!」  輝く現代法学部生!~第4回~久保くん

2015.12.16 ゼミ研究報告会で研究成果報告を行う久保くん

みなさんこんにちは。

第二学期も始まりました。
皆さんの元気な姿を見ることができ、とても嬉しく思います。

今週「特別区に合格しました」と報告に来てくれた女子学生さんがいました!おめでとうございます。
いろいろお話を聞いたところ、内定までの道のりには様々な困難があり、それを必死に乗り越えたことが伝わってきて、話を聞きながら感動してしまいました。

皆さんも聞いてみたいだろうな、と思い、12月21日に開催する「ゼミ研究報告会」で
報告してもらうことになりました。「就職活動とゼミ」のところで報告してもらいます。
今年から「公務員志望者支援プログラム」が始まっています。とても参考になりますので、是非聞きにきてください。

【大学ホームページへ】公務員志望者支援プログラム


後期も頑張りましょうね!

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さて、夏休みも終りました。
「皆さんはどんな夏休みを過ごしたのかな?」と思い、久保くんに聞いてみたところ、「実家で定置網漁のお手伝いをしていました!」とのこと。「定置網って??」と、海無し県出身の現法さんは分からなかったので、久保くんにレポートしてもらいました。

久保くんは、礒野 弥生先生のゼミで環境問題について勉強していました。

昨年は「日本の水資源を守るための企業の取り組み」について、ゼミ研究報告会で報告してくれました。とても分かりやすかったです。だいぶ勉強したんだろうなと思う内容でした。


ではでは、海の男の世界へ、皆さんどうぞ~


【過去のブログ記事へ】「法プロがあるから頑張れる!」輝く現代法学部生!~第1回~亀山さん
【過去のブログ記事へ】「2年生からサークルも頑張る!」輝く現代法学部生!~第2回~森田くん
【過去のブログ記事へ】「みんなで立ち向かえばいいんだ」輝く現代法学部生!~第3回~下山くん

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はじめまして!
このたび、ブログを書かせていただきます現代法学部4年久保賢哉です。

皆さん後期の授業にも慣れましたか??
そして、約2か月ある夏休みは皆さんそれぞれ有意義に過ごしましたか??

私の4年間の夏休みは、すべて実家の釧路町で盛んに行われていて家業でもある鮭の定置網漁船に乗りお手伝いをさせていただいておりました。

釧路町ってどこにあるのか?と疑問に感じた方のために


広大な北海道の東側に位置するところに釧路町はあります!!!


皆さんから見ると漁業とは過酷な仕事のように感じていられるかと思いますが、皆さんの想像通りの過酷な仕事です。笑

起床は朝の2時です!3時過ぎに乗組員全員が船に集まり夜明けよりも早く出航します。網を沈めている現場までたどり着くと、乗組員一丸となって網を引っ張り上げます。

普段のこの時期は、網の中の鮭が暴れていて重たく、船の中にある生け簀はいっぱいとなりますが、今年は連続して発生した台風の影響もあり海水は山からの土砂を含み濁ってしまいました。魚も寄り付かなくなってしまったため、例年の漁獲高をはるかに下回っています。



こんな海は4年間で初めての出来事でした。
父をはじめ乗組員の方々も落胆の顔色を隠し切れません。



ちなみにこの定置網ですがどのようにして海の中に沈んでいるかといいますと、、、

このような砂袋をいくつも装着し網を沈めているのです。

網はとても巨大で強固なものです。

写真は、皆さんが普段水族館などで見るマンボウです。
いつも皆さんが見るマンボウよりはるかに大きいサイズが掛かったとしても、漁師さん達の作った網は簡単には破れません。この程度の大きさのものは頻繁に掛かります。



あまりにも巨大なものは、船に装備されているクレーンを用いて海から引っ張り上げます。皆さんはあまりご存じではないかもしれませんがマンボウの腸、いわゆるホルモンは脂身が少なくとてもヘルシーです。味も肉のホルモンと変わらないくらい美味しいんですよ!もし、機会がありましたら是非ご賞味ください!

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網の話に戻りますが、鮭の定置網は全長500mほどあります。

漁師の皆さんは、少しでも大漁になるように、写真のような網を朱色に染めることにより鮭をはじめとする魚が網に入りやすいように誘導する、などの工夫こらしています。




網の手入れなども含め、終業時刻は午後4時半頃になります。先述したように、とても過酷です。過酷ですが私は父が舵を持つこの船に乗り、かけがえのない時間を父と過ごすことができたと感じております。なかなか面と向かっては言えませんが貴重な体験が出来て感謝しています。そして、私のような大学生を受け入れてくださった乗組員の皆様にもお礼を言いたいと思います。

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久保くん、ありがとうございました!

久保くんは、礒野ゼミのゼミ長としても活躍し、皆を引っ張っていましたね。昨年は、【現代法学部ゼミ研究報告会】の実行委員長で大活躍でした。就職も無事に公務員に内定したとのことでおめでとうございます。

久保くんの頑張り屋の性格は、北海道の大自然と、お父さんの姿が育んだのだろうなと思います。これからも頑張ってくださいね。

ではまた次回!


2016年9月20日火曜日

【学問のミカタ】貧しい食事 ~食について~


みなさん、こんにちは!
 
明日からは2期の授業が始まります!
 
台風も今夜半過ぎには通過の予定です☆
 
2期も健やかに過ごしましょう!
 
 
 
 
学問のミカタ、9月のテーマは「食」についてです。
 
今回は徐 京植先生が執筆してくれました!
 
よろしくお願いします!
 

 

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  貧しい食事 
     
                    徐 京植 
 
 
 
今から45年ほど前、私が入学したある私立大学には、次のような校歌の替え歌があった。
 
 

都の西北ヤセタの森に/
 
そびゆる甍(いらか)はわれらが下宿

 われらが下宿のおかずを知るや/
 
 5円の煮豆に3円の大根

 ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、ヤセタ、死んだ…
 
 
 

これは戦後の食糧難時代の先輩たちがつくったもので、さすがに私が通った頃はこれほどではなかったが、学生たちがつねに金欠病だったことは変わりない。
 
 
いま世の中は豊かになったというが、本当だろうか?

 
私が大学生だった頃、学食でのご馳走は「トンカツ定食」だった。
 
学食のトンカツは薄っぺらく、口内粘膜が傷つくほど衣が硬かったが、それでも私には週に一度の贅沢だった。
 
 
Mというラーメン屋のもやしソバもよく食べたが、どういうわけかいつも食後に腹具合が悪くなった。
 
 
学友F君は、ラーメンにライスをつけ、さらにライスのみお代わりするのが常だった。
 
それでもF君はやせていた。やみくもに安価で高カロリーなものを求めた時代だった。



月日は巡って大学で教える立場になり、さまざまな外国の大学にもでかけるようになった。そのたびに私は現地の学食に出かけてみることにしている。
 


コロンビア大学(ニューヨーク)キャンパスにて
 
いちばん気に入ったのはデュッセルドルフ大学の学食だ。
 
 
アジア、アフリカなど世界各地からの学生たちも多いので料理の種類や味付けが多彩である。
 
なによりドイツ流の全粒粉パンが美味い。ただし、やや値段が高い。
 
うっかりするとすぐに1000円を超える勘定になった。

ケンブリッジ大学の学食は教授用食堂と学生用が厳格に仕切られていた。
 
 
友人に招かれて教授用に行くことになった。給仕が仰々しくサーヴィスしてくれて、少々窮屈な思いをした。
 
 
ケンブリッジ大学キングスカレッジ礼拝堂 右はアダム・チョウ教授

パリでは学食に入る機会がなかったが、ソルボンヌ付近にはよいカフェが多く、バゲット・サンドウィッチ一つで味も量も満足できる。
 
クリューニー博物館のそばに狭い中華料理店があり、そこの鴨ラーメンは絶品だ。
 
あるとき、斜め向かいの席でひとり鴨ラーメンを食している女性と眼があった。日本で面識のある、女性学の先生だった。
 
日本ではこんな偶然は滅多にないのに、パリで再会したのだ。鴨ラーメンのおかげである。



ことし3月には中米のコスタリカ大学に出かけ、相変わらず学食のお世話になった。
 
 
主食は豆と米を蒸したものである。それを盛った皿にお好みで、肉や魚の料理を添える。場合によっては焼いたバナナなども。
 
味は?…こういう場合、英語では「興味深い(interesting)」と答えることにしている。
 
コスタリカの教会廃墟 左はチェ・ヒョンドク教授
 
 
国外研究員として2年間韓国に滞在した。
 
ある時、学食で食事していると、あまり言葉を交わしたこともない女子学生が、「先生お一人ですか?一緒にしてあげましょうか」と声をかけてきた。
 
なにやら同情している顔つきである。韓国には「メシは天だ」という有名な詩句があるように、(とくに客人とは)食事をともにする文化がある。
 
それが煩わしいのか、友人の歴史学者は、いつも研究室に出前をとっていた。
 
彼の定番はチャジャン麵(汁なしミソかけソバ)。日本のカレーやハンバーグ同様、韓国の子供たちにとって人気の「国民食」である。
 
 
 
 数年前、「ボッチ飯」という言葉を知った。「メシぐらい自由に食べればいいじゃないか。

 大切なことは美味いか不味いか、栄養が足りているかどうかなんだから…」とゼミの学生に言うと、体格のよい男子学生が真剣な表情で「先生、やっぱボッチ飯はキツイっすよ」と答えた。

 いまの学生たちの食事は「ヤセタ、死んだ」の時代とは異なるものの、新しい別の「貧しさ」に苦しめられてはいないか?


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徐先生、ありがとうございました!
 

2016年8月25日木曜日

【学問のミカタ】「世界で最初の株式会社って?」

みなさん、こんにちは!

先日の台風は大丈夫でしたか??


8月も後半に差し掛かりました。暑さはまだまだ続きますが、

夏バテに気をつけて過ごしましょう。


さて、今月の学問のミカタは、現代法学部は和泉澤 衞先生が書いてくれました!



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1.世界で最初の株式会社は?



 会社といえば「株式会社」が思い浮かびますが、世界初は1602年に設立された「オランダ東インド会社」です。
 
 
 それにしても、“なぜ”生まれたのでしょうか。


 当時は中世ヨーロッパの大航海時代のころで、大型帆船を建造・運営して東アジアと交易することは莫大な利益をもたらしますが、一方で海難(難破・海賊)などの危険もあります。
 
 
 個人商店で大規模な商売はできません。大きな資金と組織が必要です。また、見込まれる利益(リターン)が大きければその分リスクも大きくなります。

 



アムステルダムの東インド会社造船所。科野孝藏「オランダ東インド会社の歴史」同文館・1988
 

 一回の航海ごとに必要な元手(資金)を集めて、無事に帰還すれば儲け(利益)は山分け・配当するが、海難で失敗すれば投入した資金はフイになるばかりか場合によっては事業の主宰者として損害賠償もしなければならない、というシステムでは長続きしません。
 
 
ビジネスではなく、ギャンブルのようなものですからね。



 したがって、その事業計画に資金を出す側の立場として、融資(お金を貸して返してもらう)ではなく投資(リスクを承知で出資すること)なのは分かっているが、成功して儲かった場合にはきちんと利益を配当し、失敗して損失が生じた場合でも責任はその出資金分以上は負わない、という仕組みを設ける必要がありました(「有限責任」といいます)。
 
 
 
 
 さらに、一回限りの航海で清算・解散するのではなく、同様の事業を反復継続的に行っていくことにすれば、より都合がよいことになります。

 

 こうして、ポルトガルやスペインなどの列強諸国の国営船団に対抗すべく、オランダ国内の貿易商を連合するようにして、出資者である多数の「株主」と事業運営を任される少人数の「役員・重役」(取締役)というビジネスのための組織体である「株式会社」が形成されたのです。
 
 
 
 社名はその頭文字をとって略称“VOC”、取締役会は“17人重役会” と呼ばれました。




 
東インド会社の17人重役会。科野孝藏「オランダ東インド会社の歴史」同文館・1988

 
2.そのころ日本は?

 1600年代初頭ですから、関ケ原の戦いを経て江戸幕府の時代ですね。
 
 
 オランダとの交易はいわゆる平戸貿易でスタートしますが、その後ご存知のとおり鎖国政策が採られ、外国通商は長崎(出島)で相手もオランダのみと制限されていきました。



 また、江戸時代は、西欧からの学問も「蘭学」中心となっていきます。




 
出島オランダ商館。科野孝藏「オランダ東インド会社盛衰史」同文館・1993

 
 
VOCマーク入染付平皿


http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/ecolle/muto/muto/024.html
長崎大学府付属図書館・武藤文庫


HP上の説明文

 「 文政頃(1818-1829)。VOCはオランダ東インド会社(Vereenigde Oost-Indische Compagnie)の略名。文政頃(18181829)の伊万里焼。日本で焼いた陶器がオランダに輸出され、それが再び日本に伝来したものであろう。 」
 
 
3.日本語の「会社」の語源って?

 「会社」は、蘭学書を翻訳する際に用いられた和製の造語で、当初は広く団体とか集団一般のことを示していたようです。
 
 
 西洋の商事会社組織を紹介する本が登場するのは江戸末期になってからで、「今日ではその二文字で法律的にも動かすべからざる新語(用語)」となったのは明治期以降です(石井研堂「明治事物起源・増補改訂版」春陽堂・1934年・下巻853)
 
 
 そういえば、「社会」という言葉も、英語のsocietyの訳語として新聞に紹介され定着したのは明治8(1875)以降とのことで、それまで「社会」のことは「世間」とか「浮き世」とか呼んでいたとか。

 

 それにしても、新しい言葉を造りだすという先人達のご苦労は並大抵ではなかったと頭の下がる思いです。
 
 
 もっとも、現代では、説明しにくい横文字の言葉を、カタカナでそのまま表現するという荒業?も通用するようで、個人的には(大学の先生としては)、住みやすい世の中なのかもしれないな~とちょっと安心しています。



 でも、“なぜ”を考えることは、常に新しい発見につながりますね。

 

 

4.おわりに
 「会社」については、日本に会社はいくつあるのとか、株式会社を設立するのに資本金はいくら必要なの(答えは1)とか、企業殺人(故殺)法って知ってますか、などいろいろ興味深い話題がありますが、それはまたの機会に。


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和泉澤 衞先生、ありがとうございました!